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グループB

ケアにおけるQOL

看護婦およびカウンセラー・ボランティア

 

Sanara L.Bertman,Ph.D.
Beatrice Kastenbaum,R.N.
岡安大仁 元日本大学医学部内科教授
柿川房子 佐賀医科大学医学部看護学科教授
渡辺孝子 埼玉県立がんセンター看護部長
濱口恵子 東札幌病院副看護部長
國枝欣一 ホライズン・カウンセリングセンター・カウンセラー

 

 

なぐさめのケアがなされているか

柿川(司会)まず外国からの講師にお話しいただき、それから会場のみなさまのご意見を交えてQOLを深めていきたいと思います。
B.Kastenbaum 医療ケアが十分でなくなった時点でどういうケアをするかといえば、なぐさめのケアではないかと思います。医療としてはもう手を尽くした、その意味では失敗してしまった、そういう印象をはねのける必要があると思います。人をなぐさめる、人に安らぎを感じさせる、それがナースの役割であって、ケアというのは決して失敗ではない。患者を勇気づけ、家族を勇気づけ、死のときばかりでなく、それから先も勇気づけていく大事な仕事だと思わなければならない。その意味では、患者に積極的に参加してもらう、家族にも参加してもらう医療ケアにしていくためにはどうしていくかということを考えていかなければならないと患います。ケアというのは、ひとつのプロセスだと思うわけです。そして。自分がケアを尽くした患者の顔を見て、自分がなぐさめられているような気がする、家族もなぐさめられている、それがひとつの結果だと思います。
ケアには4つの次限があります。まず身体的ケア、清拭、疼痛管理などです。先のなぐさめのケアは2つ目の精神的・心理的なものだと思います。自分自身を患者はどう捉えているのだろうか、自信があるのだろうか、自分はみにくくなってしまった、それを話してもらえるかどうか、だれも受け止めてくれないのではないかという気持ち、その顔を見たときに、ナースとしては心が苦しむと思うのです。その患者さんが自分の尊厳をどう見ているのか、自信をもっているのか、それに対して何ができるかが精神的なケアだと思います。
それから、死に近い患者が次におこることをどう受け止めているかということにも私どもはかかわっていかなければなりません。みんな何らかの信念、信仰心はあるかと思います。無信仰だというものから、天国があるという人までいろいろあると思いますが、ナースとしては患者が来世をどう考えているのか、死の次にくるものを恐れているかどうか、それを感じとる必要があると思います。直接ケアの手を尽くさなくても、また直接なぐさめはできなくても、人を介してできることがあるかもしれません。アメリカではカトリック教徒の中で、自分はもうカトリックを信ずることはやめたという人で非常に罪の意識を感じているというような人たちもいますが、カトリックの神父たちは、また迷える小羊が戻ることを受け止めてくれます。一回信仰心から離れても、また戻ろう

 

 

 

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