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20世紀における死の質とは

ベックマン(Beckmann)の『大きな死のシーン」(1906)は死を前にした患者の苦痛に満ちた苦悶だけについてではなく、病院の内外で証言しなければならない人たちの生の苦悶にも注意を払っています。
フランシス・べーコン(Francis Bacon)の「3枚続きの絵画」(1973)は、悲しいことですが二つの点でエイズの死の真の陰喩になっています。
(1)2つの最後の失禁、嘔吐と下痢、(2)DRG(diagnastic related groupings)を与えているので、現代の保険政策ではたとえ最も重い患者でも、病院から相当早く強制的に退院しなければならないことです。ブラジル人の画家、ルイス・クルス・アザセタ(Luis Cruz Azaceta)の「エイズ患者」(1989)は、科学技術的環境の中で「サポート・プロジェクト」の近代以後における死の定義の概略を描いています。
女性も死にます。そしてすべての女性がサラ・バーンハード(Sara Bernhard)が演じた「カミレ」や「蝶々夫人」や「将軍」での高尚な死を遂げた人々と同じように品位があるわけではありません。エリザベス・レートン(Elizabeth Layton)は80代の女性ですが、機械しばりになった近代以後の死を非常に恐れる何千人もの高齢者と彼女自身のための広報担当者となりました。「裁判所」(1990)では、芸術家が意思決定に関わる法的関わりの戦慄を語りました。この昏睡状態の患者は漏斗が直接胃に通じており、それに黒のガウンを着た裁判官たちが正しい栄養食(ぶどう、魚、麦ピーナツバター、水、よく知られているコーラ)を注ぎ入れるのです。彼女は“生命維持”という判決を受けた戦慄を語ったアザセタ(Azaceta)よりさらに極端でした。
家族の不安とか看護婦、医師、そしてその“ケース”を知っているヘルスケアワーカーの判断はあからさまに無視されます。彼らのサイズや死を前にした人への接近、そしてドアにある.”面会謝絶”のサイン等に注意してください。医師、看護婦、家族は中に入れてもらえません。オスラーがそのような場におられたなら、彼の1898年の医師たちへの戒めは確実にこれらの裁判官に繰り返されなければなりません。つまり、「あなたは、私たちの父親たちが何も知らなかった合併症をすべての病気に起こした。あなたたちは、侵入者、略奪者で、最も優しい愛の本分である妻や母親や姉妹たちから引き離す」というわけです。
裁判所はギアを変えるときがあること、そして積極的な治療から緩和医療に変える時期は人間的・社会的問題であり、技術的なものではないということを理解する必要があります。緩和医療は集中的なケアであり、積極的に慰めるケアなのです。”優しい愛のケア”の中で、肉体は“プラグを抜く”のとまったく同じ立場にありますが、清潔でしわのないシーツで保護されています。
医学的・外科的生命維持への介入は、前の絵で下したようなキャンドル、プライバシー、静かな厳粛、そしてオールドファッションの人間的ケアの伝統的な命の質で取り替えられています。死の伝統的やり方としては、私たちは小さな氷をスプーンで与え、生命を支えるのに十分ではないとしても、体を楽にさせ、魂を養うのに十分です。エミリ・デッキンソン(Emily Dickinson,1865)の詩は、一つの完全な手引きの一編で、いつも日本人の美学、すなわちより少ないことは、より多いこと、つまり最も小さなものに注意することの重要さ、そして単純の極美への理解を思い起こさせてくれます。
死ぬことには、ほんの小さな親愛を必要とし一杯の水がすべてで、花の目立たない顔が、壁に線となる。

 

 

 

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