愛−ボランティアの極意
“こころ・あたま・からだ”の全人的関わりが求められるボランティア活動ですが、それ全体を支え、可能にしているのは、ひとことでいえば、“愛のこころ”です。先ほどの「善いサマリア人のたとえ」も、隣人を愛するとは、という問いに答えてイエス・キリストが語った物語です。
でも、“愛”って、ほんとは何なんでしょうか。あまりに当たりまえすぎて、あまりに身近にありすぎて、あまりに多くのニュアンスを含んでいて、かえってよくわからなくなってしまいそうな、愛。東京・新宿の歌舞伎町から、カルカッタのマザー・テレサの「神の愛の宣教会」まで、その意味も内容も千差万別。これくらい「なんでもあり」の言葉というのも珍しいのではないでしょうか。そこで、この“愛”について、少し整理しておきたいと思います。
ギリシア語の“愛”
“愛”をとらえなおす手がかりとして、ギリシア語で“愛”をどういうか、見てみることにしましょう。
なぜ、ギリシア語なのか。それは、彼らが“愛”についてなかなか深い洞察を見せてくれているからです。それぞれの文化には得手、不得手の領域があり、それはしばしば言語に反映されます。
たとえば、英語には“牛”という単語がありません。
英語の文化では、身近で、大切な存在であるあの動物を、たった一語でおおざっぱに“牛”なんて呼べないのです。それが雌牛(COW)なのか、雄牛(BULL)なのか、去勢した雄牛(OX)
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