ボランティアと“こころ・あたま・からだ”
ボランティアのはたらきは、自分の切り売りではなく、全人的かかわりを求められるものです。すなわち、“こころ”の豊かな感受性で受け止め、“あたま”で冷静に判断し、それを“からだ”で行動に移す、というわけで、まさにこの3要素全開です。
聖書(ルカによる福音書10章)に、「善いサマリア人のたとえ」とよばれる、ボランティアのお手本のような話があります。
ある人が強盗に襲われ、道端で瀕死の状態になっているのに出くわしたあるサマリア人は、
『その人を見て憐れに思い、
近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、
自分のろばに乗せ、宿屋に連れていって介抱した。』(新共同訳)と書かれています。
サマリア人の行動の発端は、その人を見て憐れに思うという、感受性豊かな人間的“こころ”でした。当時、サマリアとユダヤが敵対関係にあったことを考えると、彼のこころの豊かさは社会的偏見、差別を軽く乗り越えていることがわかります。
しかし、優しいこころは必要条件ですが、それでじゅうぶんなわけではありません。傷に油とアルコールを注ぎ、包帯をするという適切な応急処置と思慮深い行動を可能にしたのは、彼の冷静で、知的な想像力と判断力でした。そしてついには、宿屋のめんどうまでみるという圧倒的な行動力を示します。
いくら善意から発していても的外れな判断と行動は、逆に相手に迷惑をかける結果にもなりかねません。
アメリカで入院していたとき、こんなことがありました。僕の病室をちょくちょく訪ねてくれたボランティアのおばあちゃんは、
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