日本にある“こころ”の伝統
あたまがよくて、からだがりっぱなだけでは両刃の剣だと申しました。これらが“優しいこころ”としっかりと結びついてこそ、豊かな人間性を発揮するのです。また、人に深い喜びをもたらすのは、あたまやからだの働きが、こころと響きあうときではないでしょうか。
残念ながら、最近の学校教育は“あたま”偏重で“からだ”が二の次。“こころ”については、まったく手つがずの野放し状態です。おとなの世界でも同じようなもので、“こころ”を磨くためにどれだけの努力がされているでしょう。なにもしていない人がほとんどではないでしょうか。
もっともこれは最近の話で、日本には昔から“こころ”磨きのりっぱな伝統がありました。
じっと座禅を組むだけが、それではありません。華道、茶道、書道、歌道、棋道、剣道、柔道、空手道、合気道あるいは香道などに共通する“道”。これこそ、こころにいたる道なのです。
かたちや作法に習熟したり、黒帯をとって無敵のチャンピオンになることが目的なのではない、形から入って、“こころ”を会得すると、かたちはいっさい問題ではなくなる。かたちへのこだわりから解放され、まったく自由になる。そうなると、身についた形が自然に、自由自在に美しく現れる。そしてそれは、接する人たちの目をひくよりは、こころに響き、感動を呼び起こす。いったん道を極め、こころを会得すると、そういった逆説がはたらくわけです。その“こころ”は、その人の生きかたのすみずみ、なにげない立ち居ふる舞いにおのずと反映する。
それゆえこれを達成した人は、業をマスターした人としてでは
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