身が解放され、こころの奥にしまわれていた本来の“優しさ”に息を吹き返すチャンスが与えられ、“共に生きる喜び”が感じられるのです。
代償を求めずに
ボランティアの“こころ”がまえについて、“自分の自由意志で”ということと、^まなざしを他者に向けて”ということについて思いをめぐらせてきました。
つぎに、“代償を求めずに”ということを取り上げてみましょう。これには、ただ単にボランティアは職業ではないとか、謝礼を求めない、といったことを越えた意味が含まれています。そのへんを、わたしたちの日常生活に照らして考えてみたいと思います。
今日の社会を見ていると、最大の力を発揮し、人の運命さえ一瞬にコントロールしてしまう魔力をもっているのは、悲しいかな“金銭”のようです。そんなバカな、もうちょっと何かあるんじゃないの、と思いたいのですが、現実の社会ではそれに目がくらんで人生を誤ってしまう人が後を断ちません。
便利さということもあって、なんでもかんでもお金に頼り、金銭なしには食べ物も、着るものも手に入らない、雨露しのぐこともできない、結局は、生命も保てない、ひょっとすると地獄の沙汰まで金次第、というような社会をつくり、それを、日夜、必死の思いで支えているのは、じつは、わたしたち自身なのです。
国家の活動はすべて、福祉も、教育も、“予算”という金銭の枠にはめられてのことですし、国民側からの参与も“税金”という金銭形式でのみ認められます。重油流出のような事故にしても、
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