日本財団 図書館


 

シルクロードセミナー

019-1.gif

「正倉院とシルクロード」
米田 雄介
文学博士
宮内庁正倉院事務所長

 

●1936年神戸市生まれ。1959年大阪大学文学部史学科卒業。1964年大阪大学大学院文学研究科博士課程修了、大阪大学文学部助手となる。1966年宮内庁書陵部編修課爾後、編集調査官・編集課長を経る。1984年文学博士となる。1992年正倉院事務所長、現在に至る。主な著書に「郡司の研究」「古代国家と地方豪族」「歴代天皇の記録」、編著に「吏部王記」「類聚三代格総索引」「新摂関家伝」。専攻は日本古代史。主として奈良時代から平安時代の政治・社会について文献から考察してきたが、近年は正倉院宝物とのかかわりから、宝物の保存管理の歴史、宝物のルーツなどに関心を持っている。

 

正倉院事務所の米田でございます。このたび奈良・シルクロード・トラベル・フォーラムにおきまして、各国代表の皆様方の前で、正倉院とシルクロードに関するお話をさせていただく機会を与えられましたことは大変光栄なことと存じております。
世界は一つだという言い方をいたします。全く近ごろのマスメディアの発達を考えますと、私もそのように実感をいたしております。アジアという地域に限定いたしましても、古代から現代まで西アジアと東アジアの間にはさまざまな交流が行われてまいりました。特に古代におきましては東西のアジアの文化、経済等の交流が、まさに本日ここにご列席の皆様方のお国の中あるいはそのお国の近くを通る大動脈と言いましょうか、そういうものを経由して行われました。そのような交流の行われた道をシルクロードと呼んでおります。
数年前に私は中国の西安市に参りました。その市の中心部に大きな駱駝やペルシア人らしき人物の石像が置かれていました。西安市はかつて唐の都、長安のあったところです。この長安が東のシルクロードの出発点であり、西からやってきました人にとりましては、東の終着点です。しかし本当の意味の終着点は、もう少しさらに東にあったのではないでしょうか。古代におきましては、西方からもたらされました文化は中国固有の文化と融合し、さらに新たな文化を形成し、東の国にその文化を伝えました。つまりその最終到達点が700年代の我が日本国の首都、奈良の都でした。
その意味で現在の奈良県、もう少し範囲を狭めますと奈良市、そこをシルクロードの終着点と呼んでおります。さらにもう一つ限定いたしまして、私どもが現在管理しております正倉院のことをシルクロードの終着点という言い方もあります。むしろ、この正倉院こそがシルクロードの終着点であるから、奈良市や奈良県をシルクロードの終着点と呼ぶのではないでしょうか。
なぜ正倉院がシルクロードの終着点であるかということについて、これから順次お話をさせていただきますが、その前に正倉院とは何かについてご説明させていただきます。
正倉院は東大寺の北西ほぼ300メートルぐらいのところに位置しております。その東大寺は現在私どもがおります建物(県公会堂)からやはり西北に500メートルぐらいでしょうか、そこらあたりのところに位置しています。この東大寺の象徴的建物が大仏殿と呼ばれているもので、その建物の中に我々は大仏様と呼んでおります大きな仏像が安置されております。この大仏殿はもともとは8世紀に建造されましたが、その後、火災などのために建て直されて今日に至っています。しかし今もこの建物は世界最大の木造建造物です。また大仏様自身も火災に遭っておりますけれども、こちらも鋳造されたブロンズ像としてはこれまた世界最大のものです。
私どもは大仏様、大仏様と言って尊敬しておりますが、この大仏様の前に立ちますと、私などは日々の生活に追われていることを忘れさせられるような、そういう存在です。別の言い方

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION