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基調講演

 

 

 

皆様、こんにちは。ただいまご紹介に預かりました倉光でございます。
特別に観光に関してプロであるというわけではありません。特別に研究しているわけではありません。ただ個人的に世界のいろいろなところに出掛けていくのが大変好きでございます。今日はむしろ観光に関しては専門家の皆様の前で、いささかやぶにらみ論といいましょうか、普通でない話を申し上げるという事になるのではと思いますが、お聞きいただければ有難いと思います。
今、関西の各都市は、観光という事を非常に重要視し始めております。以前は古い都がありました奈良あるいは京都が観光都市として大変有名でありましたし、又観光といえばすぐに奈良、京都という事になったのです。
しかし、確かにまだ人はたくさん行っておりますが、試みに大仏を見に行こうかと誘ったら、「あれは修学旅行の時に行ったからもういいわ」と言う人が日本人でも多いと思うのです。つまり大きな仏様を見ても現代人はさほどの感慨を覚えなくなってしまっている。
何故こんな大きいものをつくったのだろうか、一体この仏様を溶かして1O円玉にしたらどれくらいのお金になるのだろうかと言う様なそんな話が聞けるのだったら行くかもわかりませんが、今のままでは全く興味がない、こんな事になってしまったのです。どこかでやはり観光という感覚が変わってきているという事に気がつくのです。
しかし、もっと古くから日本で観光というものがあったのかどうかを点検してみますと、実に不思議な事に、例えば、宿場といったものの整備は非常に古い。世界的にみても珍しいぐらい古いのです。これは7世紀の中庸には、すでに日本では駅といいます宿場ができていたのです。現在、駅伝というリレーをしていきます長距離のゲームがございますが、この駅伝はインターナショナルな言葉になっています。しかし、この駅というのは元々日本の中央官庁のお役人が地方に行きます時に泊まる為の設備が置かれた宿場であります。ほぼ20キロ間隔に置かれたわけです。
この駅は8世紀から10世紀ぐらいになりますと、民間の人間が泊まれるような宿泊施設が整備されてきました。交通機関としての馬でありますとか、場所によっては船でありますとか、そういう交通機関の乗り換えがきく場所でもございました。
この様に非常に古い時から整備が行われておりまして、これは詳しくはやりませんが、大体十七、八世紀の頃になりますと、一般の庶民といいましょうか、民間人が旅行するのにも大変便利になったのです。ただし、ここで大きな問題がありますのは、日本人は用事がないのに出歩くという事を一切しない民族です。つまり民間人が動く場合には商売の為に動いたのでありまして、普通の観光という概念はその当時はなかったのであります。そのかわりに何をやったかといいますと、神社参りとお寺回りです。有名なのはお伊勢参りや霊場巡りです。伊勢神宮には現在では国会議員が参る事が良いのか、悪いのか議論になりますが、あの有名な伊勢神宮に参るというのが1つの口実であります。これは非常にシステマティックにできておりまして、1つの村の中で今年は誰が村の代表でお参りに行くのかを決める仕組みがありました。村の中にお伊勢講という1つの相互扶助機関がありまして、そこの田んぼから上がる利益で旅費が賄われたのであります。したがって、その代表は「代参」という形で行くのですから、必ずおみやげを買って帰らなければならない。
おみやげはもともと神社の縁起物から始まっているのです。今日のように防腐剤などはございませんから、そんなに食べ物が長く日持ちするはずがございません。食べ物ではなく、いろいろな縁起物を持って帰ってこれを村の人に配る形態があったのです。
もっと身近なところを見ますと、日本人は遊ぶという事に関して外国とは全く違う、ヨーロッパの人たちと違う感覚を持っているのです。日本の古い言葉、大和言葉で言いますならば、髪の長い乙女が風にたなびくというのを「あそあそ」と表現いたします。その「あそあそ」というのは、1カ所、根拠を持っているけれども、拘束されないで風のまにまに漂うというのが「あそ」という状態でして、それに「ふ」という、そういう状態にするという語尾がくっついて「あそふ」となって、

 

 

 

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