銀山学園は昭和45年の開設で、当時知的障害者が利用できる福祉施設が少ない中、北海道各地から問題行動等を有する人や重度の障害をもつ人等が多数入所してこられました。翌46年に増設され定員140名の入所をみますが無断外出や地域の皆さんに迷惑をお掛けすることが日常的にみられました。銀山より北のはて稚内の親許に無賃乗車で帰るものドライブインに侵入し遊具をこわしてしまうもの等、施設長以下職員は日夜悩みを続け解決策を求める日々が続きます。
そんな中、入所者と生活を共にする施設長が施設のある山の中腹より見た点在する村の灯りに「人が住んでいる」という感激を覚え「入所している皆さんにもこの感激を味あわせてあげたい」と考え、職員宅や地域住民のお宅を入所者が伺う「家庭訪問」が始められます。これを契機として無断外出は不思議なほどなくなりをみせます。つまり施設入所者の皆さんは施設にいたくなかったのです。
この実践から施設においては、
@障害があるまえに、同じ人間であるということ
A人として共通する欲求を満たしてあげることが幸せにつながること、そして、
Bその幸せづくりの基盤は身近な「地域」であることに気付いてまいります。
一方、銀山学園の職員も入って地区の青年層の集まりがもたれます。初めは生活上の悩みや町に対する不満等が話合われますが、共通していることは「この町に生活していても生き甲斐が感じられない」ということでした。そして、「悩みや不満ばかりを言っていても何も解決しない、自分たちでできることから何かを始めよう」と小さな実践が開始されます。
「銀山地区の明日を考え行動する会」は昭和51年に結成されます。最初の実践は「銀山新聞」の発刊であり、地域の子供たちに夢をと、花火大会や秋祭りの出店が会員の手づくりによって実施されました。中でも秋祭りには焼き島やとうきびの炭火焼きなど10余りの屋台が軒を連ね、30万円程の利益を生みました。それを財源として遊園地づくりが銀山学園の入所の皆さんも参加してすすめられました。
地域住民の皆さんの共通の願いである「生涯安心して生活のできる地域」づくりの実践が、一住民である銀山学園の入所の皆さんの幸せづくりと相まって推進される基盤がここに生まれました。
自治省からモデル地区として指定される
こうしたささやかな実践活動が平成4年には自治省から地域活性化のモデル地区として認めていただくことができました。この指定を契機に銀山文化連盟は「銀山コミュニティ推進協議会」に衣替えいたします。組織の構成は地区の町内会や文化教育団体等を全て網羅し、80名程の会員により「文化教養部会」「文化イベント部会」「多目的施設部会」「福祉部会」の4部会から構成されております。モデル指定は3年間の補助事業でありましたが、地区の小中学校や老人クラブのボランティア活動に、青年でつくる劇団「馬群別」の公演活動に、さらには地区の歴史を住民自身の手によってまとめ上げる「銀山小史」の編さん活動や現在銀山学園と地区の主婦や高齢者により栽培されているドライフラワーを主体とした地区の開発計画の策定等と多彩な地域活動の展開に発展してまいりました。

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