まちづくりを支える原動力は住民
大野千代美(愛媛県内子町役場企画調整課長補佐)
町並み保存が「町の顔」に
内子町は、四国で初めて町並み保存運動に取り組んだ町です。町並み保存運動に取り組んだ昭和50年代初頭には、まだまだ全国的にもその運動を展開している市町村は限られていました。この町並み保存運動は、内子町に居を構えた一人の画家のマスメディアへの紹介が契機となりましたが、それは住んでいる者がすっかり見落としていた町の価値ある資源に対する外からの貴重な提言でした。
「本物は磨けば光る」とよくいわれますが、内子に残されていた八日市護国の町並みもその例にもれず、江戸時代から明治にかけて内子町の地場産業として、また全国でも有数の木蝋主産地として繁栄した名残をとどめる町家群には、地域住民の暮らしが息づき、建物も荒廃の兆しは見せつつも、その建築には当時の繁栄を伺わせる意匠と内子町の歴史が連綿と刻みに残されていたのです。
内子町は、町並み保存をまちづくりの核として位置づけ20余年にわたり保存と再生運動を住民と行政の協働ですすめられてきました。この町並み保存運動は、我々に従来の町の暮らしや歴史の重要さを再認識させるとともに、「町の顔」として内子町を代表するものとなったのです。
全国でも数少ない芝居小屋「内子座」の復元もこの町並み保存運動の延長といえます。大正時代に建築された「内子座」は、浄瑠璃や芝居が演じられた当時のはなやかさから、時代の変化とともに映画館や商工会館などに使われ、建物本来の姿を失っていましたが、昭和60年の復元によって再生し、中央で活躍する多くの名優や音楽家、落語家などが採算を抜きにして町のさまざまな文化活動グループとの交流によって公演を行い、地域の文化向上に寄与しています。また、昭和の初期地域の青年団活動として盛んであった演劇活動も町の若者によって復活され、舞台公演が行われるようになりました。
そして、今日では、50万人の観光客を迎える町となったのです。
行政は、財政的な面もあってさまざまな補助金制度を活用して、ハードの施設整備を先行しますが、その施設整備も、自治体の個性や創造の分野を否定し、文化ホールに代表される全国どこにも見られる施設が多い中で、内子座や八日市護国の町並みは、内子町にしかない固有の資産に磨きをかけたものとして、確かな魅力で訪れた人を満足させています。戦後の社会変動の中で我々は、外見にこだわる価値観が優先し、農
