日本財団 図書館


 

英領と藩王国を統合してインドが独立した。
初代首相となったネールは、1950年代を通じて積極的な非同盟外交を展開し、アジア、アフリカの諸国をリードした。
1960年代になると中印国境紛争の敗北、第2次印パ戦争、またネールの死など困難な時期を迎えた。
1966年インディラ・ガンジーが首相に就任した。
1970年代に入って起った第3次印パ戦争、石油危機、干ばつなどは経済危機をもたらし、暴動が続発した。1977年の選挙で与党が大敗し野党連合が政権についたが1980年、インディラが政権を奪回した。
1980年代は地方での新しい民族主義と中央の政権との軋轢が高まった時期で、これを弾圧したインディラは1984年、暗殺された。政権は息子のラジブが引継ぎ新首相となった。
1989年の選挙で再び与党が破れ、新首相にビシュワナト・プラダップ・シンが就任したが、カースト問題の対立の中で辞任した。1990年、チャンドラ・シェーカルがこれを継いだが混乱を収拾することが出来ず、1991年、総選挙が行われナラシンハ・ラオが新しく首相となった。この選挙遊説中ラジブ・ガンジー元首相が暗殺された。
1996年6月の総選挙で与党国民会議派が敗れ、中道左派政党で構成する国民統一戦線のデベ・ゴウダが首相に就任した。
現在の政体はシャンカール・ダヤル・シャルマ大統領を元首、デベ・ゴウダを首相とする連邦共和制で国会は二院制(上院定数250名、下院定数545名)である。

3. 経済

インドは独立後、ソ連型社会主義を手本にした計画経済手法を取り入れて、混合経済体制の国造りを進め、貿易面では自給自足を目標とした輸入代替政策を基本方針としてきた。
しかし、ソ連の崩壊や湾岸戦争の影響もあって国際収支の危機に直面したため、ラオ政権は1991年経済の舵取りを大転換し、経済自由化を基本とする市場経済重視の政策を転開することになった。新政策は産業、貿易、為替など経済の全面にわたって進められている。1996年6月ラオ政権に代って成立した中道・左派連合の統一戦線政権も前政権の経済改革、自由化路線を継承するとしており、インドの経済構造は市場経済の比重が高くなっていくものとみられる。
国家予算の規模(1995/96単位百万ルピー)
歳入 167,151
歳出 172,151
(1997年2月 1米ドル 33.56ルピー)
国内総生産
実質GDP 2兆5,101億ルピー (1994/95)
1人当りGNP 300ドル (1993/94)
貿易額(1995/96 暫定値 単位100万ドル)
輸出FOB 22,757
輸入CIF 26,292
主要輸出品(1994/95 単位100万ドル)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION