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(5)宗教
ヒンズー教82.6%、イスラム教11.4%、キリスト教2.4%、シーク教2.0%、仏教0.7%、その他0.9%である。

2. 略史・政治

紀元前1500年頃アーリヤ民族がインドに侵入するが、それ以前すでにドラヴィダ民族などいくつかの民族がインダス河流域に文明を築いていた。
西北インドに侵入したアーリア民族は紀元前1000年頃東に進み、ガンジス河中・下流に農耕社会が形成され、宗教面ではバラモン教社会が成立している。紀元前600年頃には16の王国があったと記録されている。これらの王国の中でマガダ国が最強で領土を拡げた。
紀元前327年から325年にかけてアレクサンダー大王がインダス河流域付近まで侵入している。
紀元前321年、マガダ国ではマウリア朝が興ったが、三代目のアショカ王が紀元前268年即位し、南部を除くインドを統一した。
紀元前1世紀頃から再び西北方から諸民族が侵入してくるが、紀元1世紀クシャーナ族が侵入、インド支配がはじまる。クシャーナ朝のカニシカ王は仏教を保護し大乗仏教が起って力を持ちはじめた。4世紀になるとグプタ朝が台頭し、バラモン教がヒンズー教に変質してゆく。
6世紀の中頃フーナ族の侵入によりグプタ朝が衰える。外来民族の侵入が続き、12世紀まで諸勢力割拠の時代となる。
13世紀の初頭、ゴール朝のムハマンドが西北方から侵入し、インド中央部を支配した。1206年、ムハマンドの死によりその配下の部将アイバクが支配することとなり、イスラム王朝の統治がはじまる。その後16世紀までデリーを都にして5つの王朝が興っている。
1526年、ムガル朝のバーブルがアフガニスタンから侵入、それまで支配していたロディ朝を破りムガル帝国が成立する。
1498年のバスコダガマの来航以来ポルトガルが東インド貿易の主役であったが、17世紀にはオランダ、イギリスがこれに代り、1600年にイギリス東インド会社が設立され、1602年にはオランダが東インド会社を設立する。
18世紀はムガル朝の支配が大きく揺ぎ、西部デカン地方のマラーター勢力をはじめとする地方勢力が台頭し、これらが争う状況の中でイギリス・フランスが次第に植民地を獲得していった。
18世紀の数多くの戦いの結果フランスは破れ、19世紀初頭には、インドはイギリスの植民地となった。
1857年、イギリスの支配に対する不満が爆発し、大反乱(セポイの反乱)が起るが、翌年イギリスが武力で鎮圧して東インド会社による統治を廃止し、インド帝国の名で直接統治することとなる。
しかし、イギリスの支配に対するインド人の不満は19世紀末に「国民会議派」の結成をもたらし、独立運動を前進させることとなった。
1920年、ガンディーは不服従運動を展開し、全インドで大きな高まりをみせた。
1945年、第二次世界大戦が終了、戦争で疲弊したイギリスには植民地を維持する力はなく、米国、ソ連も独立を支持した。1946年、ヒンズー教徒とイスラム教徒の宗教対立から暴動が起り、1947年8月、イスラム人口の多い北西部とベンガル地区の一部が独立してパキスタンとなり、翌年8月残りの

 

 

 

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