(2)大谷廃坑の歴史
昭和35〜昭和48年大谷石の好況期。採掘機の発明により、採掘作業の機械化が進む。宅造の土止め材として使用される。
廃坑の利用の歴史的経緯
○地下工場
第二次大戦末期(昭和20年初頭)に対空襲用の工場(中島製作所)として利用された。
○マッシュルーム栽培
常温13℃位を利用して一時マッシュルームの栽培が行われたが、経済的に成立せず、数年後で殆ど中止された。
○古米貯蔵
昭和45年、農林省は大谷の廃坑を過剰米700万tの貯蔵庫として利用したが、鼠の害が多かった。また、払い下げ時の逆ザヤがかなりの問題を残したようだ。
○産業廃棄物
昭和49年思わぬ巨額の金で大谷の廃坑が売買された。有毒性のものがあることが判明するや付近の住民達が挙って世論を喚起したが、廃棄が中止される迄には至らなかったものの、それが廃坑所有者へ伝播し、拡大されてゆくのを阻止した。
○大谷資料館
○ 昭和54年に開館された。
○大谷石の採掘の自らの廃棄物である石コッパを棄てる場所になっていく現状である。
「大谷石むかし話」(大野登士・地方柱1980)
○大谷町坂本地区の陥没事故(平成元年2,3月)
○大谷地区の陥没、落盤事故
大谷地区の陥没、落盤事故は、昭和27,28年から目立って増え、昭和27年から昭和41年2月末まで50件発生している。その内訳は、落盤28件、崩壊7件、陥没15件で、これらの事故により、死亡23人、負傷28人を出している。
「うつのみやの歴史」(宇都宮市)