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堺の相撲沿革

今日のアマチュア相撲発展のきっかけは、明治になってから学生間に相撲熱が高まったことに始まりました。1900年(明治33年)、東京高等師範学校長の加納治五郎氏が、体育の授業に積極的に相撲を取り入れるようになったことにより、学生の間に相撲人気が高まってきました。全国各地の中学・高校・大学に相撲部もおかれるようになり、このことがアマチュア相撲発展の契機となりました。初めは、作家を中心とした相撲クラブが学生相撲を指導し、対抗戦を行っていましたが、1912年(大正元年)学生が自主的に相撲大会を開くようになりました。1919年(大正8年)には、堺市浜寺公園で毎日新聞社による第1回全国学生相撲大会が開催され、学生相撲(アマチュア相撲)の基礎が確立されました。その当時は仮説の土俵でしたが、学生の純粋さ、仕切りの短いスピーディーな試合ぶりが職業相撲を圧倒する程の人気があり、会場は常に超満員の盛況をみせていました。
その後、幾度か会場の変更、戦争による中断はありましたが、関係者・フアンの間で「学生相撲は、やはり大浜で」との声がいよいよ高まり、学生相撲選手権は昭和49年の第52回大会から、ここ「学生相撲発祥の地大浜」に戻ってきました。それ以後は毎年、堺市立大浜体育館を会場に開かれていましたが、昭和56年には、3千人が観戦できる常設の立派な相撲場が完成しました。現在に至るまで幾多の名勝負・名選手を生み出した堺市大浜公園相撲場は学生相撲のメッカとして憧れの地となりました。
現在、堺市大浜公園相撲場で開催されているアマチュア相撲に、全日本相撲選手権大会、全日本実業団相撲選手権大会、全国教職員相撲選手権大会、全国学生相撲選手権大会などがあります。このように堺市大浜と学生相撲は深い結びつきがあり、来年の第52回国民体育大会相撲競技がここ堺市大浜公園相撲場で開かれるのも、このような歴史と決して無縁ではありません。
長い歩みを持つ大浜の学生相撲が今日のように盛んなものになった陰には関係者ばかりでなく、市民の皆さんの力が大きく働いていることは言うまでもないことです。
日本の国技として伝統を守り、受け継がれてきた相撲を、人々に伝承するとともに、第52回国民体育大会を契機に、「学生相撲発祥の地、大浜」の伝承を受け継ぎ、益々相撲が盛んになることを願っています。

 

 

 

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