日本財団 図書館


 

プロムナード 海 こんな話、あんな話

混乗船−外国人船員との仕事と生活 川崎汽船株式会社 船長 筒井哲

 

008-1.gif

 

008-2.gif

 

フィリピンクルーと一緒に仕事をするようになって四作、五隻日になる。これまで四隻のコンテナ船で欧州、豪州、アジア、北米の各航路に就航した。もっとも、五隻目の本船は、自助車船で、豪州・地中海に就航中だ。
その中で、今でも記憶に新しいのは、外国の海運会社にチャーターされた外国籍コンテナ船で、香港と高雄(台湾)間の折り返しを週に二回、六ケ月間で五十航海したことだ。日本人は船長・機関長二名という混乗船だったけれども、フィリピンクルーの協力によって、その五十航海を一度も逃れることなく、スケジュール通りに巡航できた。
現在、混乗船の外国人船員といえば、フィリピンクルーを指すほどフィリピンクルーとの混乗が圧倒的に多い。かつては韓国クルーも多くの混乗船に乗船していたが、今では完全にフィリピンクルーに取って代わられている。フィリピン以外の船員供給国としては、ミャンマー、インドネシア等のアジア諸国をはじめとして、世界中に多数の国があり、それらの国の船員との混乗も今後増え続けるだろう。
<フィリピンクルーとの混乗>
現存では日本人船賃が二人になる場合もあるが、四〜五人の日本人船賃と一七〜八人のフィリピンクルーの組合せが一般的。最近、オール日本人船員前提のパイオニア・シップ(十一人で運航する日本籍近代化船)に五人のフィリピンクルーが一定期間、メインテナンス要員として乗り組むケースの特殊な混乗船もある。
<初めての混乗船>
四年前、オール日本人船員からフィリピンクルーとの混乗に変わる時のこと。フィリピンヘ行ったことも、フィリピンについての十分な知識も無く、混乗に間するレポートを読んでも、今一つ納得できず、漠然とした不安を感じていた。
フィリピンとは、フィリピン人とは、と思いながらフィリピンの地図にガイドブック、それにタガログ語の本やテープまで揃え、挨拶くらいはタガログ語でと、にわかにタガログ語の勉強を始めたが、混乗に変わる日が近づくにつれ、あれやこれや気になることが次ぎ次ぎに……。
ところが、実際、一緒に仕事をしてみると、心配していたことの多くが取り越し苦労であり、フィリピンクルーが仕事のパートナーとして具体的に問題のないことがわかり一安心。もちろん、すべてが順調に進んだわけではなく、双方の誤解や理解不足に起因するトラブルも発生し、夜中に呼ばれたこともあった。しかし、それもその都度関係者の努力により解決された。
<食事のこと>
二十代の多いフィリピンクルーと違って、

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION