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マリン・トピックス

人類と海との健やかな関係を!

日本財団の曽野会長が国際海洋シンポジウム’96で力説
日本財団(財団法人日本船舶振興会)か主催する、国際海洋シンポジウム’96が、夏号既報の通り、七月十六日、十七日の両日、東京臨海副都心の「東京ビッグサイト」で開催された。テーマは「海は人類を救えるか」で、人類と海との新しい関係をいかに構築すべきかを考えるもの。同シンポジウムの開会式における曽野綾子同財団会長の挨拶(全文)を以下に掲載する。
本日は常陸宮、同妃両殿下ご臨席のもと、国の内外から多数の学者、友人をお招きいたしまして、国際海洋シンポジウム96を間雌することができましたことを、深く感謝・申しあげております。
ご承知のように今年から、七月二十日が「海の日」として国民の祝日に制定されましたことは、周囲を海に囲まれて長い歴史を育んでまいりました日本人にとっては、まことに意義深いものであります。
今改めて考えてみますと、私たちは、どれほど多く、海の恩恵を受けて来たか知れません。古来、多くの日本人は、海洋が与えてくれた温順な気候の海辺に住み、貝や海草を常食として来ました。やがて海外の文化や信仰や技術を求めて、多くの人々が海を越えて、危険を覚悟で、未知の世界を日指しました。その人々の、まだ見ぬ世界を知りたいという止みがたい情熱を想う時、私は今でも胸が熱くなるのを覚えます。
幼い頃、私が初めて英語を習った時、最初に暗唱させられた幾つかの詩の一つは、サモアで死んだイギリスの小説家ロバート・ルイス・ステイーヴンソンの墓碑銘でした。彼は二十世紀を日前にした一八九四年、僅か四十四の若さで南海の島で生湖を終えました。
「この広き星空の下に、墓を掘り、私を横たえられんことを」(Under the wide and starry

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sky, Dig a grave and let me die)
それは、生きて再び祖国に戻ることなく、異境に死ぬ運命を受諾したという表現だったように思われます。
実に人間が、生涯を通じて迫い求める情熱の多くは、海を越えてはるかな土地を目指し、再び故郷に帰る幸福さえも諦めることだ、とその時私は子供心にも納得したのです。人間はしばしば分裂した心を持つ生物でありますから、一方でこの地上での安穏な生活を望みながら、時には死を覚悟してでも、自由や夢を求めて大海原に乗り出して行ったのでした。

 

 

 

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