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シッピング論壇

その後の神戸港

神戸大学経営学部教授宮下國生

 

平成七年一月十七日に起きた兵庫県南部地震で被災した神戸港については、その復興続報を本誌でも掲載してきたが、来年一二月には復旧工事も完了の見込みであり、この際、復興続報の掲載は取りやめ、改めて神戸大学経営学部の宮下國生教授に「その後の神戸港」と題して、神戸港の現状と将来を論じていただいた。

 

神戸港の戦後経済への貢献
日本の経済が戦後の復興から自立にむかうプロセスにあった一九五一年に、神戸港の管理は国から神戸市に移管され、貿易の振興という同家の経済政策の目的のもとで、大幅な港湾設備の拡充と整備が進められた。さらに、一九六〇年に策定された国民所得倍増計画は、海運・貿易・国民経済の循環的な拡大再生産の図式を成立させ、その中で、ターミナルとしての港湾には、一層の規模の拡大と効率の向上が要請されたのである。この期待に応えるべく、神戸港は、在来型港湾機能の充実に加えて、一九六〇年代半ば頃に登場したコンテナ船が、将来の同際物流に占める重要性と成長性に注目して、一九六七年にポートアイランド、一九七二年には六甲アイランドの建設に着工して以来一コンテナ貨物の取扱能力を増強して、日本のみならずアジアのコンテナ貨物の拠点港としての地位を着実に強化していったのである。
神戸港は、最も革新的な国際物流貨物であるコンテナ貨物の分野では、震災の直前までは、日本の五大港の中で最大の取扱いシェアを維持していた。もっとも、このシェアは、他港のコンテナターミナルの整備に伴って年々低下し、一九七六年当時の五二%から、一九九三年には二九%となっていたが、しかしなお世界第六位のコンテナ貨物取扱港であったのである。
輸出入貿易の拠点港としての神戸港の第一の機能は、神戸港の後背地が西日本の全域をカバーしており、そのうち近畿地方が六〇%を占めている事からうかがうことができる。神戸港は、近畿、・中国、四国地方のコンテナ物流の中核をなすターミナル基地として、円滑な輸出入貿易の促進をつうじて、国民経済の発展に寄与してきたのである。
第二の機能はトランシップ(中継)港としての役割である。これも、アジアの諸港が港湾インフラを整備するのにともなって、一九七六年当時の四八%から、一九八○年代に入ってからは、二五%〜二〇%へとウエイトは低下してきた。しかし、そのウエイトは、ほ

 

 

 

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