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外国船による内国貨物の輸送について

日本郵船株式会社前調査グループ長 田中宣秀
標題の外国船による内国貨物の輸送をカボタージュ(Cabptage)と言う。耳慣れない海運や航空の特殊用紙であるが、今後の海運においての大テーマ故、簡単な説明を加えておきたい。
「カボタージュ」が話題になったのは、阪神大震災で神戸港のコンテナバースが使用不能になった際、シーランドやマースクといった船社がコンテナ船を傭船し、神戸や大阪から横浜までフィーダー貨物を輸送した時であるが、こうした記事を新聞で目にされた方も多いと思う。わが国においてカボタージュを規定した法律は、明治三十二年に制定された船舶法で、その第三条に「日本船舶二非サレハ不開港場二寄港シ、又ハ日本各港二於テ物品又ハ旅客ノ運送ヲ為スコトヲ得ス、但、法律若クハ条約ニ別段ノ定メアルトキ、…省略…主務大臣ノ許可デ得タルトキハ北限二在ラス」と定められており、既述の外国船社は阪神大震災のあと、運輸大臣の許可を得てわが国の沿岸輸送に一時従事したわけである。
−わが国におけるカボタージュの歴史−
江戸初期に菱垣廻船や樽廻船を初めとする帆船が大阪を中心として沿岸輸送で活躍していたことは周知の通りであるが、とりわけペリーが来航する嘉永六年(一八五三年)頃から、わが国海運の歴史は大きく変わってくる。
幕府は、安政元年(一八五四年)に下田、函館から次々に開港し、明治初年頃には外国貿易は勿論、開港場間の沿岸貿易はP&Oやパシフィックメイルなどの外国船社によって行われるようになる。カボタージュに関する法律はなかったにせよ、わが国の沿岸輸送は脅かされたわけである。明治政府は外国船に対抗させるため、回漕公社に続いて日本国郵便蒸気船を設立するが、明治七年の台湾出兵の際、イギリスやアメリカの船社はもちろん、日本国郵便蒸気船にも輸送を拒否され、岩崎弥太郎の三菱商会が政府の要満に応えることになる。
明治政府としては、こうした苦い経験から

 

 

 

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