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?. まとめ

ラオスの南部のコーン地区からカンボジア東北部のクラチエにかけてのメコン川流域には、日本住血吸虫症によく似たメコン住血吸虫症の流行がみられる。インドシナ半島のこの地域にいつ頃から流行があったかについては明らかではない。本症の最初の患者は1957年フランス人医師らによってパリで発見された(Vic Dupot,1957)。患者はコーン島出身のラオス人で、これによってラオス南部に住血吸虫症の存在が示唆された。
飯島利彦(杏林大学名誉教授)はフィリピン大学のR.C. Garciaの協力を得て、1966年から67年にわたってコーン島の5町村の住民を調査し、住血吸虫保卵者47人を検出した(Iijima&Garcia,1967)。これがメコン川流域における住血吸虫症の流行地が確認された最初の報告であった。翌年(1968年)、彼らはコーン島で犬24頭を剖検し、うち7頭から住血吸虫の成虫体を検出した。これがメコン川流域の住血吸虫の人以外の動物宿主(保虫宿主)の発見であり、また成虫の発見であった。1972年、タイのC.Harinasuta(マヒドン大学熱帯医学部長)らはこの住血吸虫の中間宿主貝Lithoglyphopsis aprta(後にNeotricula apertaと改名)を発見し、それが在来の日本住血吸虫の中間宿主貝のOncomelania spp.とはいちじるしく異なることが明らかにされるにおよんで、米国のM.Voge(カリフォルニア大学教授)らはこの住血吸虫を新種とし、Schistosoma mekongi(メコン住血吸虫)と命名した。
その後この国に繰り返された分裂、内戦も終わって、1989年10月にWHO/WPROはコーン島とその周辺の住血吸虫症コントロールを開始した。
笹川記念保健協力財団は寄生虫対策プロジェクトの一つとして1980年以来続けられていたタイ国の土壌媒介寄生虫・顎口虫・肝吸虫対策が一応終了したものと判断し、隣国のラオスに住血吸虫症を対象とした寄生虫対策プロジェクトを企画した。1995年1月、財団はミッション(安羅岡一男・辻 守康・松田 肇)をラオスに派遣し、保健省における副大臣Dr.Khamphay Rasmy、マラリア・寄生虫・昆虫学研究所(IMPE)所長のDr.Khamliene Pholsenaとの協議の結果、メコン住血吸虫の中間宿主対策を中心とした共同プロジェクトを発足させることで一致した。
1995年4月〜5月のメコン川の低水位期に派遣された安羅岡一男・松田 肇・桐木雅史はコーン島を中心とする南ラオスにおいて見学的調査を行い、中間宿主貝 gama N。apertaがコーン島から上流約120?のHouaygnang-Noy(パクセの北約15?)にわたって棲息するのを確認した。またそれぞれの貝棲息地点付近の小学校10校の児童810名を対象に日本住血吸虫卵を抗原とするELISAによる抗体保有状況を調査し、コーン島上流約90?に位置するPak Houay Bang Liang小学校児童の陽性率27.6%を最高とする、ほぼ20%前後の高い抗体陽性率が得られた。以上からコーン島の上流にもメコン住血吸虫症のendemicが存在する可能性が示唆された。
本年度は、同じくメコン川の低水位期の4月23日から5月19日の間、安羅同一男・松田 肇

 

 

 

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