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漁業者からの海域環境創造への提案

Marine Environment Restoration/Creation Proposing to The Fisherman's Standpoint
大野一敏
船橋漁業協同組合元組合長
Kazutoshi OHNO
Past President, Funabashi Fisherman' s
Cooperative Association

ABSTRACT

I have observed the transformation of Tokyo Bay that has transpired as a result of changes in the social system through my 40 years work as a fisherman since the age of seventeen. The San Francisco Bay Plan of the United States was encountered through my questioning of the validity of the development plan involving the construction of bay bridge across Tokyo Bay and this paper which explain the activities involved in attempting to effect a similar plan in Tokyo Bay. Further, the richly endowed natural environment of Tokyo Bay prior to the 1950's and the fact that the shoreline and the shallows of the bay had supported the fertility of ecosystem will be explained in addition to a discussion of the environmental problems generated subsequently. Further, the extent to which the social concept of affording benefits to the majority has resulted in the destruction of the natural environment and events leasing to fishermen, who comprise the minority giving up their means of livelihood will also be explained. The huge amounts of tax paid in order to effect relinquishment of the fishing rights will be shown and the reason why the fishermen of Funabashi attempted to return indemnity payment amounting to 10 billion yen will be explained.

1. はじめに

漁師は水辺に住む。わが家は東京湾に魚を追って代々生計を立ててきた。その生活は常に魚の水揚げ高にかかっているから、必然的に漁師の思考形態は自然環境と魚の生態の観測から離れることはない。
魚の動きは季節、天候、潮時、地形で目まぐるしく変化する。そして限りなく自由である。魚は自分に適した環境、すなわち、水質や水温が合えばどこへでも餌を求め果敢に行動する。また、特定の魚を除いた多くの魚種は、生殖行為や産卵の場所はほぼ一定している。魚の行動範囲や行動体系は人間の思考を遥かに凌ぐものがある。
一方、漁師の仕事は極めて規制にがんじがらめとなっている。漁業区域、漁法、操業時間、使用する漁船、漁具の大きさ等など。そこで、漁師の行動範囲はおのずと制限される。地球規模で回遊する海の動物に鯨がいる。
彼らは季節毎に移動する海域が決まっているが、ほぼ南氷洋から北氷洋まで地球を横断する。また、鮭はほぼ地球を1/4周する規模で移動する。しかも、内陸深く母川を遡上して次の世代を生んだ後、その一生を終わる。それに比べて、人間の行動や知識はなんと狭小で浅はかなものなのか。私は17歳から漁を生業として40年たったが、いまだに魚との知恵比べに明け暮れ、東京湾の生態系のかけらも解せない。本当に情けない限りである。
東京湾の環境問題に対し漠然とではあったが、様々な経緯を経て興味をもちだしたのは昭和40年代である。社会的に地位のある人や有名な知識人が東京湾は死んでしまったと暴言を吐いていたとき、私は東京湾から大漁の鰯を水揚げしていたのである。また、新聞やテレビには汚れた海を映し出し、魚は汚れて食べられないと宣伝していた。同時に、高度成長期の日本は、その食生活を日本固有の魚と大豆を中心とする健康食品から、パンやミルク、ハム、ステーキなどの高タンパク質食品へと替えていったそれがあたかも豊かな生活であるかのように。それと昭和40年代初頭、友人と一緒にアメリカのバッファローに遊んだ。

 

 

 

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