2−3プノンペン市の沿革と概要
カンボジア国の首都であるプノンペン市はメコン川、バサック川、トンレサップ川の合流地点に位置している。その立地条件から内陸水運の中心港として同国の政治・経済活動の中心となっている。
現在のプノンペンはフランス植民地時代に築かれた東西約5キロ、南北約7キロの旧市街地を基盤としている。このように同市は古くから中国人・マレー人・ヴェトナム人などの異民族による交易の町として栄えた。したがって1970年以前にはヴェトナム人やチャム人は北部地区、中国人、フランス人は商業の中心地区、カンボジア人はメコン川に面した南部や西部地区といったように、民族によって居住地区が分かれていた。
1975年、クメール・ルージュが政権に着くと、都市を資本主義に毒された旧社会の遺物と見なして、当時難民で膨れ上がっていた約250万人の人々を強制移住させた。このため同市は外交関係者、役人、工場労働者などわずかな居住者だけとなり約12万人と激減した。
しかも1979年にヴェトナム軍が進駐するまで、その居住者の7割に当たる8.2万人がポル・ポト軍によって殺され、3.8万人になってしまった。
80年代の内戦期を経て、1989年に政府は市民に居住権を許可するに至り、同市は大きく変化した。ポル・ポト時代に中国人やヴェトナム人といった以前からの都市居住者が追い立てられた影響もあり、農村出身のカンボジア人の流入人口増加が大きくなり、昔の民族構成も大きく変わった。
こうして1995年にはプノンペン市は、約290平方km(29,000ha)の面積に対し823,743人の人口を有する都会に発展した。市の行政区は7つの地域に区分され、その内、旧市街地は4つの区域(Khan)に分かれており、約28平方kmの面積を有している。この外側にさらに3つの区域が位置している。これらの行政区域を図2−4に示す。
しかし、プノンペン市には都市計画や土地利用構想も存在しないため、新しい流入人口は周辺道路の沿線を中心に、一種のスプロールの形をもって膨らみ始めている。また土地開発・住宅開発に当たってもこれといった規制や許認可制度もないため、地価の高騰やインフラ整備を遅延させる原因を引き起こしている。
また、市街地の東側にはメコン川本流をはじめ、支流のドレンサップ川、バサック川が流れており、橋が少ないため市街地の広がりも地勢的に制限されている。さらに市街地周辺部には小河川、湖沼などが多く、土地利用上も阻害要因となっている。その他にも9、10月の雨期には市内は洪水に見舞われ、都市内の交通は毎年大きな障害を受けている。
このようにプノンペン市は地勢的な制約があることに加えて、最近の急激な人口増加は、交通インフラ整備が追いつかず、交通混雑、交通事故、排気ガスによる大気汚染など、都市交通における緊急課題となっている。