
『青年の自分さがしをサポート』
株式会社三越銀座店営業第1部販売推進リーダー 鈴木清江
今から4年前に、愛媛県の国立大州青年の家で開かれた『学ぶ青年全国集会』にパネラーとして参加したことがきっかけで青年の家とのご縁ができ、この一文を寄せることになった。
私は、昨年営業店に移るまでの10年間を主に人事部門で、仕事を通じて人を育てることや一人ひとりの社員がどのようにしたら活き活きと仕事をしていくことができるかなどを考え、教育や人事制度等の仕組みづくりに携わってきた。そうした経歴を背景に、高校生のわが子を通して現在の青年を見ながら青年の家について考えてみたい。
■現代の青年
青年の定義をし始めると議論百出となってしまうので、ここでは現代の高校生に焦点を当てたい。一昔前の風俗的話題は女子大生であった。それが、現在では女子高生、さらに進んで女子中学生と低年齢化してきている。20数年前の我々の高校時代と比べるとその生活は大分違っている。物質的に豊かな社会に育ち、情報は大人達が手にするのと同じようなものを持っている。ルーズソックスとミニスカート、ラルフローレンのセーター、ポケベル、携帯電話、カラオケ、化粧、茶髪と学校で学ぶこととはかけ離れた世界がそこにはある。そして、欲しいものを手にするために援助交際までもがかなり行われているという。受験戦争に没頭している者もいるのであろうが、学ぶことより毎日を友達と楽しく過ごすことが大切と刹那的に生きている者もかなり多いのではないだろうか。
しかし、そうした彼女達が幸せなのかというと、むしろ満たされてはいない。学校が面白くない、勉強して何になる、大学にいって何なのか、大人になっても未来はそんなに明るくないと思っている。勉強をして優秀といわれる大学に入った人達がオウムの事件を引き起こしたことを知っているし、大企業のサラリーマンはさほど楽しく生きていないであろうと思っている。そして、内心自分たちが将来もっと活き活きと充実して生きていくためにはどうしたらよいのかと思い悩んでいるのではないであろうか。今のレールに乗っているだけではきっと満たされない。しかし、他の生き方もよく見えないと。
母親としてそうした状況を見るとき、学校教育は国語、数学、理科、社会の知識を教えることに一生懸命だが、もっと、学ぶことの楽しさ、生きていくことの楽しさ、そして、学びたいときに学ぶ方法を教えることに時間を割くべきではないかと考えてしまう。
そして、現代の青年には、今の日本が人々を幸せにしないシステムであるならば、これからの社会を自分達でより良い社会に作り上げていく為の力をつけて欲しいと願うのである。
■学校と青年の家の二人三脚
以上のように現代の青年の置かれている状況を捉えた時、学校という施設と青年の家という施設をもっとうまく活用してより広い人間教育
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