
『青年の家への期待』
愛知県立岡崎聾学校長 近藤康次
■はじめに
遺訓、徳川家康公のことばに「人の一生は重荷を負いて遠く道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに欲おこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ。勝つ事ばかり知りて、まける事を知らざれば善その身にいたる。おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるよりまされ。」
家康62歳の新春に遺したこの教訓はだれでもが知るところである。この名訓が本校の校長室にかなり古くなった額縁にしたためられ吊りさげられている。さすがに岡崎の学校だと思いつつ、この学校で4年目が過ぎようとしている。なぜ、ここに家康を持ち出したかは本校と17年間の長きに亘って学校間交流をしている岡崎市内の学校があり、その学校の文化祭に招かれた折に学習発表会の中で「徳川家康」の劇を演じたからである。織田家へ今川家へ人質となっていく幼いころからの家康の心をうまくとらえ、岡崎城に拠って自立する。19歳の元康のシーンを立派にやりとげたからである。急変した現代社会の生き方の陰に隠れた大切な教育が劇を通して指導されていたことに感心させられたからである。
今日、地域に根ざした教育の在り方が問われ、また困難に耐える生き方が敬遠され、自分たちは何のために、どのような人間として将来に向かってくるのだろうかなどの考えも持てない若者たちが多いと指摘されている。人生目標が持てない青年たちが多いわけである。
国立中央青年の家が誕生して20年を迎えるころ、私も専門職員としてお世話になっていたことがあった。仲間の専門職の方々や上司、それに全国からやって来る青年たち、学識者などとよく論議したことが懐かしく思われる。今は特殊諸学校に勤めることからその思いを述べることとする。
■障害の特性に配慮した運営
学校教育においては、新しい学力観に立って、体験的な学習を重視するなどの改善を行っているが、障害者教育の実情を見ると、何よりも、学校外活動そのものの充実を図っていくことが急務である。とりわけ、青年の家や少年自然の家などの青少年教育施設における体験や活動に期待するところが大きいと考える。
しかしながら、心身障害者が青少年教育施設を利用し、様々な感動の体験活動を展開しようとするには、各施設の状況から見ると様々な制限を受けざるを得ないのが現状である。そこで、21世紀に向かって、青少年教育施設が今後いかにあるべきかを考える基本の一つに障害者へのきめ細かい対応を期待するものである。
これまでの施設の運営については、利用者の多様化にも関わらず、ややもすると画一的、形式的になっていた傾向にあるのではないかと考える。例えば一般の学校利用か青年団体の利用か家族利用か特殊教育諸学校の利用かといった
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