
第1章 新しい施設運営の視点
青少年の自主性を育てる運営
−おもしろく、ユニークで、自信がつく活動の保障−
千葉大学教授 明石要一
■迫られる二つの教育観の大転換
今や従来の教育観の転換を迫られている。一つは、生涯学習社会での学校教育をどう捉えるかである。明治5年から日本の教育は学校教育を指していた。しかも、その学校教育は6歳から22歳までの教育が中心であった。
教育は学校の中でいかに良い成績をとるかに力点が置かれていた。学校を卒業してからどう生きるかに関心を持っていなかった。だから、学校の勉強と実社会の勉強は別だというのが当然のごとく語り継がれてきた。
こうした教育即学校社会の考え方を見直すのが生涯学習である。
つまり、「0歳から22歳」まででなく、「22歳から」どう生きるかを視野に置いた教育のあり方を考えるのが生涯学習である。そうして初めて、「いつでも、どこでも、誰でも」学習できる社会というのがリアリティを持ってくる。
二つ目は、「勉強」は自分のためにするという明治からの考え方を見直すことである。確かに、「勉強」は明治から立身出世のためには欠かせなかったし、社会の活性化に大きく貢献している。
しかし、そのためか「勉強」は自分のためにするものだという意識が人々に浸透し過ぎてしまった。「勉強しないと損をするのはあなたですよ」「学歴がないと出世できませんよ」というしつけが、多くの家庭で当然のごとく行われてきたのである。
「勉強」は、本来自分のためでなく社会に役立つためにするものであった。学んだこと(成果)が社会の進歩に使われるのが生きがいとなる。ノーベル賞がどれだけ社会に貢献したかで決められているのは、そうした考えが根本にあるからである。
今や「勉強」は自分のためにするという考え方を転換する時期にきている。これからは「勉強」したことが、社会にどう役立つかに力点が置かれる社会づくりが大切になる。
■必要な社会教育の視点
新たに「23歳から生きていける」には、学校社会を離れても通用する生きる力を身につけることが必要である。そのためには、先に指摘したようにこれまでの学校観を脱がなければならない。それは教育を社会教育の発想から組み立てることであり、家庭・社会での学歴中心主義を改めることである。
そうした発想の転換をするためには、学校教育と社会教育の違いを「ズバリ一言で表現する」作業が近道である。
この作業はけっこう難しい。読者の皆さんもぜひ挑戦してほしい。同業者に通用するだけではダメである。小、中学生や保護者にもわかるような説明でなければならない。
私は次のような答を用意する。
「学校教育は卒業します。しかし、社会教育は修了しますが卒業という発想はありません。卒業すると生涯学習という考えは生まれにくい
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