海からのたより
海のアンソロジー(18)
広島大学生物生産学部 長沼毅
Takeshi NAGANUMA
「潮騒」の舞台、神島彼の聴く潮騒は、海の巨きな潮の流れが、彼の体内の若々しい血潮の流れと調べを合わせているように思われた。(三島由紀夫「潮騒」より)
「潮騒」の舞台は「歌島」という「古代さながらの伊勢の海が眺められ」る小島です。若い漁師と美しい乙女のみずみずしい恋の物語ですが、「この小さな島が、かれらの幸福を守り、かれらの恋を成就させてくれ」、読後感が爽やかです。
「潮騒」の舞台の「歌島」は実際には「神島」という伊勢湾の入り口にある小島で、古来より海路の難所(伊良湖渡合)として知られています。「伊勢海と太平洋をつなぐこの狭窄な海門は、風のある日には、いくつもの渦を巻いたそうで、その様子は「阿波の鳴門か、銚子の口か、伊良湖渡合か、恐ろしや」と採われたほどです。柿本人麻呂の歌をみてみましょう:
潮騒に伊良湖の島辺ごく船に妹乗るらむか 荒さ島廻を(「万葉集」42)
そのように渡合が厳しい難所だったためでしょう、神島には綿津見命や八大龍王などの海神を祭った神社があります。
古代王権と海
古代王権の成立と発展にとって海上交通の確保と海人集団との関係維持は必要不可欠でした。これはいろいろな形で古代神話に登場します。例えば「古事記」では、日本国土の創成神であるイザナギがみそぎをしたとき、綿津見神と筒之男命がそれぞれ三柱ずつ現われ(上・中・底)、また、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三御子が出現しました。アマテラスは日天界を、ツクヨミは月夜界を、そしてスサノオは海界をそれぞれ治めるように言われました。もっとも、スサノオだけはこれを拒否し、天界を追われました。出雲の国に降りたスサノオの子孫は大国主(出雷神)になりましたが、後にアマテラス一族に国を譲ります。このときアマテラス側の特任大使として交渉にあたったのは天の水神の御手、また、その従者は天の鳥船といい、アマテラス系と海神・水神とのつながりを示しています。
神武天皇は天孫の孫にして海神の孫
アマテラス系は海界を重視しました。アマテラスの孫ニニギは地上界を治めるため天界から降ります(天孫降臨)。降臨後、従者が海の生き物を集めて「汝は天つ神の御子に仕えまつらむや」と尋ねると、皆「仕えまつらむ」と答えましたが、ただナマコだけは答えませんでした。そこで従者は「この口や答へせぬ口」と言ってナマコの口を小刀で裂いてしまいました。ナマコの口が裂けているのはこのためだそうです。
天孫ニニギにはホデリ(海幸彦)とホヲリ(山幸彦)の御子がいました。海幸彦・山幸彦の物誌は有名でしょうから省略しますか、結局、山幸彦の方が海界諸神と良好な関係を結び、海神の娘と結婚しました。山幸彦の子もまた海神の娘と結婚し、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が生まれました。初代天皇は祖母も母も海神の娘だったのです。日本文化の深層において天皇とはつまるところ稲作の神様だという説があります。また、田の神は日天と龍女(海神の娘)の結婚によって毎年誕生するそうです(柳田国男『海神少童」)。日天の御子と海神の娘の結婚は、川の神の誕生、すなわち新しい天皇誕生の準備なのです。神武東征
神武天皇は天下平定を志して日向から九州を北上し、
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