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船員家族の願い

平成六年六月二十三日放送
船員家族四家ヤイ子
私の主人はこの六月で六十三歳になりました。
現在もロシアの二〇〇海里内サケ・マス合弁漁業とサンマ漁業の漁機長として頑張っています。
幼い頃からいわきの海辺で育ったせいか、海への関心はことのほか強く、終戦直後の昭和二十年九月、十四歳で底引網漁船の甲板員として船員の第一歩を踏み出したと聞きました。
苦労しながら海技免状を取り、昭和二十四年から六年間は、近海マグロ漁業の船長として従事していたそうです。
そして、主人が船員になってから、ちょうど十年目の昭和三十年、当時、北洋漁業の花形ともいわれたサケ・マス漁業の漁撈長として、新たな一歩を踏み出したのが、弱冠二十四歳だったということでした。
以来、今日まで三十九年間、いわきの漁業の中心を占める、春から夏にかけての北洋サケ、マス漁業、秋のサンマ漁業の漁場長として、頑張り続けてきました。
いわき市生まれの主人と縁があって、新潟生まれの私が嫁いできてから、長い年月が経ちましたが、当初、船員の妻になることに、それなりの覚悟はしておりましたものの、実際にその立場になってみますと、決してなまやさしいものではありませんでした。
総責任者として、全乗組員の安全と健康に目を配り、好漁の結果を生まなければ、漁撈長としての職責を果たしたことにはならない厳しい世界です。
妻の立場からすれば、夫の役職にかかわらず、留守家庭を預かり、その上、育児期、進学期などの対応に忙殺されると、やはり、辛いなあと思うことがよくありました。
多くの人々の見送りを受けて、勇躍漁場に向けて出漁して行く主人の後ろ姿を見ながら、「無事に港に帰ってきて欲しい」、「乗組員全員が満足のゆく成果をあげて帰ってきて欲しい」、とひたすら願う毎日です。
漁船であれ、汽船であれ船員を夫に持つ妻と家族の願いはただひとつ、「健康で安全航海、安全操業を終えて、無事に港に帰ってきて欲しい」という一言に尽きる

 

 

 

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