市民がつくった日本で唯一の司法博物館
長野県「県宝」
財団法人
日本司法博物館
日本司法博物館の建物は、明治41年、松本城二の丸御殿跡に松本区裁判所(長野地方裁判所松本支部)として建てられ、昭和53年まで70年余にわたって使用されてきました。
そして日本で唯一つ完全な形で残された明治憲法下の裁判所建物で、司法博物館として後世に永く伝えられるものとなったものです。
日本司法博物館の建物は明治から昭和にかけて裁判所として使われてきた建物です。
当博物館のように完全な形で保存されているものとしては全国で唯一のものです。昭和53年には取り壊されることになりましたが、建物保存への強い要望による、市民運動によって、昭和57年にこの地に移転、復元され、わが国初の司法博物館として開館しました。当博物館では、12の展示室に、日本の司法の歴史、裁判制度、警察、検察、弁護士の役割などをわかりやすく説明しています。
当博物館の特色の一つは、司法に関する歴史、特に民権運動など、司法そのものが、その時代と共に変容してゆく歴史を、イラストや、当時の歴史を再現した郷土人形などによって、紹介していることです。厳めしく思われがちな司法の歴史に、ヒューマニズムの視点から光をあてています。
日本有数の捕物道具コレクション
時代考証家として、日本の第一人者である名和弓雄氏自身が生涯をかけて収集した捕物道具は、日本でも貴重な品々です。所に備えて犯人の市中引廻しなどに使う刺又、与力から下っ引までの階級によって違う十手等約300点、他に古文書浮世絵の捕物絵図、海外の諸道具等も展示しています。
貞享3年(1686)松本領安曇、筑摩両郡に起こった農民一揆で後の世に貞享騒動と呼ばれた。松本藩主水野忠直の治世、過酷な年貢米の取り立てに対しその軽減を訴え一万人を超える農民が参加したが藩側に欺かれ、首謀者中萱村の多田加助ら、一族子供ら28人がとらえられ磔、獄門などの極刑に処せられた。報復をおそれての一族の族滅をはかった封建時代の恐るべき実態が史実と共に残されています。
松本少年刑務所旧独居及び雑居棟(単独室及び集団室)
この建物は、大正15年に長野刑務所松本支所の第三独居(単独室)棟として松本市大字桐中原町938番地(現松本市桐3-9-4)に建築されたものです。
その後、昭和33年には、松本刑務所第一舎と改称され、平成2年8月まで青少年受刑者、及び未決拘禁者を収容していました。独居房、雑居房併せて43房有った本棟が取壊されることになった平成2年、その中の22房を復元したものであります。少年刑務所と言っても殆どは成人の囚人が多く収容されました。また当所には松本市教育委員会による旭町中学校の桐分校が制度化され受刑者に修業証書が渡されているこれも全国で唯一の刑務所であります。
復元にあたっては日本自転卒振興会、長野県、松本市より多額の補助金を受けて復元されました。
巣鴨プリズン資料展示室
巣鴨プリズンA級・B級・C級戦犯に関する資料が織川文二氏(東京、当時巣鴨プリズン刑務官)より平成2年8月寄贈されたものです。
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