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財団法人日本オペレッタ協会の歩み

 

1977年1月、演出家の寺崎裕則は、オペレッタの本当の姿、本来あるべき姿を正しく日本に伝えるべく「オペレッタ友の会」を創立、オペレッタの普及運動を開始した。創造部門と鑑賞部門を両論としたこの組織の目的は、一つは歌、芝居、踊りが三位一体となったクラシック歌手、即ち歌役者を育てることであり、今一つはヨーロッパのようにオペラ、オペレッタを支える大人の観客を育てることだった。
旗挙げ公演は、新宿厚生年金会館で、寺崎裕則作・演出の「ワルツの夢」。オペレッタの名曲を蒐めて、一つの愛の物語にし、自然にオペレッタの楽しさ、面白さ、深さを観客に知らせることだった。このやり方と「ウィーン気質」や「メリー・ウィドウ」等、オペレッタの名作を妙演する形で上演。一歩一歩だが着実に成果が上がっていった。
1981年4月、エメリッヒ・カールマンの『伯爵家令嬢マリツァ」を「ハンガリー物語」と題して日比谷の第一生命ホールで完全上演、これを機会にオペレッタ普及の輪を更に拡げるべく「オペレッタ友の会」を発展解消させ「日本オペレッタ協会」を創立、寺崎裕則が引き続き、主宰し、会長となった。
1983年、寺崎が10年がかりで集めたオペレッタの資料をもとに「魅惑のウィンナ・オペレッタ」を書き、6月、音楽之友社から出版されたのと音楽の友ホール完成を機に、今迄の集大成「ウィーン物語」を上演、爆発的人気を呼び、ロングランに次ぐロングランとなった。
以降、その波に乗り、「ワルツの夢」や「ウィーン物語」のようなオペレッタの名曲をコラージュした「男と女の物語シリーズ」、ウィーンの町と音楽とオペレッタの関わりを知らせる「ウィーン、わが夢の都シリーズ」、オペレッタの作曲家はヨハン・シュトラウスとレハールだけではありません、という「“魅惑のウィンナ・オペレッタ”作曲家シリーズ」、それから日本のオペレッタの原点、浅草オペラを遣う「蘇る浅草オペラシリーズ」を創り続けた。
1986年1月、西麻布に待望のオペレッタホールが完成。40坪の小さな空間だが、日本にたった一つしかないオペレッタのメッカとして、今迄のシリーズの公演、更にレハールの「ルクセンブルク伯爵」のようなコンパクトながらノー・カットの「作品シリーズ」が上演できるようになった。同時に創造部門は徹底的な稽古と1週間、2週間とロングランが出来るので「歌役者の学校は舞台」を託すように歌役者が急成長していった。また鑑賞部門は例会やオペレッタ面白講座、コーラス部、ダンス部等の部活動が盛んになり“違いの分かる観客”がどんどん奮っていった。
1988年9月、新大久保にグローブ座が誕生、その記念公演として81年の『ハンガリー物語」を晴れて「伯爵家令嬢マリツァ」と題し、改訂上演を行い、大好評を博し、日本オペレッタ協会の歴史に一時代を画した。
1989年3月、日暮里にサニーホールが完成、そのこけら落としに「伯爵家令嬢マリツァ」を再演、荒川区と提携してサニーホールは中ホールのホームグラウンドとなり、89年9月、レハールの「ルクセンブルク伯爵」、90年9月、レハールの「微笑みの国」、91年9月ラルフ・ベナツキーの「白馬亭にて」と年毎に充実した公演が大きな話題となり、平成2年度「ジロー・オペラ賞、“特別賞”」を受賞した。
創立以来、1992年(平成4年)迄の15年間に、90の公演と56の地方公演を行い、自然なベルカントの歌、芝居、踊りと三拍子揃ったクラシックの歌役者が輩出してきた。寺崎裕則の“音楽でほんとうの人間の姿を描くドラマ”、ムジークテアター“人間の音楽劇”の創造方法に共感するスタッフも大勢集まっている。会員も七百名に増え、千人を越すのもそう遠くはない。
そうした中で1991年9月26日、財団法人となったのである。
そして92年5月8日には「第1回ウィーン・オペレッタフェスティバル前夜祭」を兼ね、新高輪プリンスホテルの“飛天”で各界各層の“オペレッタ大好き人間”1,600名が集い、財団設立記念パーティを華やかに開いた。
1992年10月は、北区と提携し、王子駅傍の北とぴあ・さくらホールで、満を持して大劇場に進出し、中ホールの日暮里サニーホールで確かな手応えを得たレハールの「微笑みの国」を本格完全上演、絶賛を浴びた。
1993年3月、日暮里サニーホールにおいて、ローベルト・シュトルツの生涯を描いた「R・シュトルツの青春−二人の心はワルツを奏で」は、ドラマティック・オペレッタとして新しい、スタイルのオペレッタとなり反響を呼んだ。同年10月には北とぴあ・さくらホールにて『白馬亭にて』をスケールアップして本格完全上演、翌年3月はサニーホールでシュトルツの『春のパレード』を本邦初演、過去、海外で公演された本場の『白馬亭にて』『春のパレード』をしのぐ作品として好評を得た。そして1994年10月カール・ツェラーの傑作、日本ではほとんど未知の“幻の名作”『小鳥売り』を完全上演して絶賛された。1995年1月、財団法人日本オペレッタ協会は特定公益増進法人の認可を得て、18年間最も苦難の素であった財源確保への活路が開け事務局、営業、舞台制作の守備陣の充実が可能となった。同年5月、日暮里サニーホールでのオッフェンバックの『ラ・ヴィー・パリジエンヌー巴里の生活』は連日超満員の観客を集め、称賛の声が昂まった。また10月には、20世紀オペレッタの最高峰、レハールの『メリー・ウィドウ』を北とぴあで上演、ウィーンの伝統にジャポニズムを併せ、日本ならではの作品を創造、絶賛を浴びた。
1996年2月、銀座中央会館にて戦前戦後の銀座の歌を集めた『銀座モダアン』を公演、「モダアン・シリーズ」としてオペレッタ協会作品の新ジャンルを拓く。
同年3月、日暮里サニーホールにおいてハインリッヒ・ペルテ「シューベルトの青春―三人姉妹の家―」を本邦初演、シューベルト生誕200年を前に深い感動と共感を呼んだ。
そしていよいよ1997年の当協会20周年へ向けて、オペレッタ・ファン待望の名作オペレッタや未知のオペレッタが続々、本邦初演され、同年完成する新国立劇場での公演へ夢をつむいでいく!!
日本のオペレッタの夜明けである。

 

 

 

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