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●鼎談● シャンパン・オペラ

笑いの復讐劇の魅力と魔力

 

 

藤代暁子(演出・ステージング)
井崎正浩(指揮・音楽監督)
寺崎裕則(台本・演出、日本オペレッタ協会会長)
司会:プロデューサー 清高利典

 

 

今回の「こうもり」は“シャンパン・オペラ”と銘打たれていますか、これには何か特別な意味があるのてしょうか−(清島)
寺崎 『こうもり』は音楽的にはほとんどオペラだって気がするんです。しかしオペラのように荘重な刺激的なものではなく、シャンパンのように軽やか。しかも、これにはオペレッタの魅力と魔力のすべてが入っている。まさにこれがオペレッタだ、って感じるわけです。“シャンパン・オペラ”という言葉は、日本では馴染みが薄いけれど、今回のうちの『こうもり』を見てみると内容的にすごくピタッとくるんじゃないかと思ったんです。
井崎 おっしゃる通りですね。『こうもり』の序曲の一番最初
−あの出だしの音楽自体は本編の中には出てきませんけれど-あれ自体がシャンパンの栓をポンポーンと抜くような感じですから、シャンパン・オペラの名にふさわしいと思います。
藤代 いろいろな役柄が発泡剤のように入り乱れて、いくつものドラマが吸収されているでしょう。それが複雑に絡み合っていながら夢のように交錯している。あの辺の感じですね。
井崎 オペラとかオペレッタは、見ている人にとっては、必ず主役がいて誰かが脇を固める、というのがあるわけですが、オペラとオペレッタ、いわゆるセリアとブッファの違いは、セリアの方はいつも主役に対する脇の関係がはっきりしている。しかしブッファやオペレッタの場合は、いったん主役が隠れてしまって、次に誰かが、あたかも主役であるかのようにスポットが当たる。その場ではその人が主役なんです。具体的にいえば、アイゼンシュタインとロザリンデが一番中心であるけれど、“こうもり”という名はファルケのことだし、アデーレとかオルロフスキーとか、その場では主役級に光を浴びることになる。それが寺崎先生の台本によく現れているし、それを一人一人の役者さんが理解しているし、その方が見ているお客さんも飽きずに楽しめるんじゃないかと思います。
藤代 綾なす人間模様、それが交錯しているんだけれど、一番最後にすごくきれいにほどけていくでしょう。そこがスカッとするところじゃないでしょうか。要するにシャンパンを飲んだあとの爽やかな感じですよ。その辺がすごく堪能できるんじゃないかしら。
井崎 僕は学生の頃、ウィーンのシュターツオーバーで、絶対に大晦日に『こうもり』を見たくて3日間並んで買いました。並んだりする人はだいたいボックス席を買うんだけれど、僕は5階席の一番真ん中の一番前に座りたかった。ちゃんとタキシードを着込んで、ちゃんと食事を済ませて出掛けていったわけです。シャンパンのシーンになると−実際シャンパンを使ったんですけれど、僕の席まで香りが漂ってくる。最高の贅沢でしたね。
寺崎 素敵ですねえ。ところでウィーンの『こうもり』はやっぱり重厚な装置でやっているわけですけれど、日本でやる場合、ウィーンのような装置だと少し重厚すぎてシャンパン・オペラには合わないんじゃないかと思った。もちろん経済的にもウィーンの真似なんかしたらいっぺんで破産ですけれど(笑)。原作を追うと、まず舞台は、ある都会の近郊の湯治場となっている。都会というとウィーン、その近くといえば、バーデンでなくちゃいけないと思ったわけです。しかも脚色者のジュネーはバーデンに住んでいた。それで、バーデンという場所湯治場ならば、温室があったりして非常にサニ

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