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特集 創立三十周年記念

ともに生きた頃

施設整備・地域交流推進室
室長 牧野武
セーナー苑創立三十周年記念・ほほえみの丘竣工式で、入所者を代表して、藤本暁子さん、吉田辰夫さんの二人が謝辞を述べました。セーナー苑が開設して最初に入所した十二名の内一人である藤本さん(昭和四十一年九月二十一日入所)は、二交替での食事や水不足のため用水で洗濯した思い出を語っています。
開設して半年の昭和四十二年四月、新採職員五人の一人としてセーナー苑の仕事について以来三十年が過ぎました。
当時のセーナー苑は、病院や施設の払い下げの古い建物を寄せ集めた木造建物で、風通しが極めて良好なこと以外は決して快適とはいえないもので、七十名の花生(入所者)と二十数名の職員にとっては、強い季節風に対してじっと耐えるような生活を余儀なくされました。

 

慢性的な水不足も深刻で、食事・洗面・手洗い等の水を確保するために、早朝から船峅保育所まで耕耘機にポリバケツを積んで何度も往復する日が続きました。
大雪と吹雪で孤立し、花生と一緒にリュックを背に、町まで買い出しに出掛けたり、便所の汲み取りもしなければなりませんでした。また、日照りの中、町中の銭湯まで歩いたこともあります。
勤務は、年輩の三人の職業指導員を除く十一人の若手職員は、住み込みで、交代で当直に就いていました。
昭和四十三年、定員増により、今年、取り壊しが予定されている若竹・松風・あかしや寮(当時は南・中・北斎と呼んでいた)と福祉センター(現管理棟)及び児童棟(取り壊した、山百合・あすなろ寮)が完成しました。しかし、勤務のローテーションが難しく、若竹・松風・あかしや寮の男子三寮については、男子職員が寮内に住み込み一緒に暮らすことになりました(夜間は三寮の内の一人が交互に当直に就き、日中は女子職員が各一名加わる、他に作業班に職員を配置)。
私は北斎で堺重文さん、奥野政雄さん、境博さん等、二十五名の花生と一年余り起居を共にしました。
開設当時の生活指導要項(「セーナー苑」における生活指導要項)の生活指導方針には、「心理学者デクロリーの『生活による生活のための教育』という言葉を引用して、セーナー苑の生活指導方針を『生活のための生活を生活させる』とする」(以下省略)と記述されています。その意味から言えば、まさに「生きていくための生活を生活していた」と実感でき、私にとってセーナー苑の三十年の中でも、この二年あまりの体験は何よりも得難いものがあったように思えますし、一・二年のつもりが、そのまま続いてしまいました。

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その後、施設の整備拡大が進められ、指導体制の充実に取り組んで来ました。
今日、ノーマライゼーションのめざすところの、一人ひとりの自立、生活の質の向上(生きがい)のために、施設における処遇の見直しに取り組んでおり、セーナー苑の施設整備においても、単に施設の改築にとどまらず、その処遇の中身についても検討が求められています。
これまでの、入所者を指導・訓練すべき対象ととらえる従来の手法は変えなければなりません。そのような観点から、体力づくりや、音楽療法といった、より自由で自発性を尊重した処遇内容に取り組まれていると理解していますし、とても大切なことと思います。
しかし、人が人として生きていく生活の知恵や技(生活スキル)は、身につけなければなりません。まさに、『生活のための生活を生活する』ことは、日常生活(日課)の営みの中で、ADLや社会生活等を援助的アプローチを介して体験してもらわ

 

 

 

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