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“Beijing and Beyond”

(北京会議とその後)

 

国連女性の地位委員会委員長

 

パトリシア・リクアナン

 

ご参会の各国の国会議員の皆様方、ご出席の皆様方、国連の第4回女性会議が北京で開催されてから早5ヵ月がたちますが、二日酔いならぬ中国会議酔いにまだ浸っています。しかし、この中国会議酔いだけは、大事にとっておきたいと思います。北京会議の精神を忘れることなく、その精神をますます高揚させて、北京の行動綱領を実践していきたいと思います。
北京では多くの対立と、宣言を採択する過程での議論がありました。ずいぶんマスコミも取り上げたようですが、行動綱領作成は長い長い討議を経て少しずつ形づくられました。その過程の中で、議論の進展がちょっと立ち止まる瞬間もありました。
北京の女性会議を振り返って、何が成就されたのか、そしてこれから何をなすべきか、そんな重要なテーマを皆様方と今日考えてみたいと思います。
そこで少しお時間を頂いて、まず女性会議の背景についてお話をしたいと思います。ご承知のように国連の女性をめぐる国際会議は過去に3回ありました。1975年のメキシコ、1980年のコペンハーゲン、そして1985年のはナイロビでの婦人会議です。
国連は1976年から1985年をいわゆる『女性のための10年』と指定して、平等、開発、平和を主なテーマとして掲げました。この10年が終わり、ナイロビ会議でその成果が評価されたのです。そしてその結果まとまったのが、『ナイロビ将来戦略』で、“2000年を見据えた女性の前進のための戦略”でした。
過去、5年ごとに国際会議が開催されましたが、1990年には女性を主題とする国際会議はありませんでした。そのかわり、国連の女性の地位委員会が長期に渡って会合を開き、このナイロビ将来戦略の実行について話し合い、様々な評価をいたしました。
ナイロビ会議の直後には、特に立法の分野で様々な前進がありました。これは立法者である先生方のご尽力によるものです。当時ナイロビ会議を終えて、既存の法律を見直し、差別的な条項については改正し、女性差別撤廃条約の批准に向けて各国が努力をし、国内法の整備を図りました。
ナイロビ会議直後には、いろいろな改善がなされるだけの高まりがあったのですが、その後次第に勢いが弱まってしまいました。差別を撤廃した国内法はできたものの、実行の部分で急にスピードダウンしてしまったのです。振り返ってみると、法を改正するのは比較的容易なのですが、人間の行動、慣行を変えることは大変難しいという

 

 

 

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