日本財団 図書館


 

前部喫水300m、後部喫水550?o、排水量・機関・速力の記事なし)がある。標準型7.5m木製内火艇の幅(2.1m)喫水(前550m、後750m)に比べ、かなりスリムで、船首のフレヤーが小さく、前部デッキは尖った形状をしている。
ジュラルミンは20世紀初めに発明され、我が国では大正8年(1919)から製造されるようになった高力アルミニウム合金で、主として飛行機の構造に使用されたが、主要成分として銅を含み、耐海水性は悪かった。大正末期に第1艦が着工された特型駆逐艦(基準排水量1,700トン)で、上部構造や缶室給気筒に使用されたが、就役後5〜6年で腐食が出初めた。艦橋囲壁はすその方の板耳やリベット継手が白い粉をふき、甲板はリノリュウムを持ち上げて脹れてきた。結局、腐食個所を、耐食性は良いが強度の低い純アルミニウム板に切替えた。このような使用実績から、アルミニウム合金の船体強度材料としての使用は後退してしまった。前記の内火艇も、恐らくはかなり早い時期に廃船になったものと思われる。
昭和24年(1949)、我が国におけるアルミニウム産業の再興に当たって、耐食アルミニウム合金としてA1−Mg系合金(52S、56S等)が国産されるようになった。早速、タイ国向け15.5m、18m鋼製パトロールボートの上甲板及び上部構造物に52S(5052相当)が使用され、また、東大生産技術研究所では56S(5056相当)製の5m艇が試作された。
次いで、昭和29年(1954)、海上保安庁の15m巡視艇「あらかぜ」が完成してアルミニウム合金製高速艇の実用時代へ入っていく。

 

2.2構造基準の変遷

第2次大戦の参戦に先立って米国海軍が魚雷艇設計コンテストを行い、8隻を試作し、1隻を英国から購入した。その内の1隻、PT8は、ビューローオブシップス(Bureau of Ships)設計、フィラデルフィア(Philadelphia)工廠が建造して1941年(昭和16)に完成したアルミニウム合金製の81フィート艇(24.58×5.69m)であるが、海軍工廠が魚雷発射管を始め金物類に駆逐艦用のものを使用したため、大幅な重量増となり、使用した試作エンジンの使い難きとあいまって十分な性能を発揮できなかったが、アルミニウム合金製の船体に関しては十分に満足すべきものであった。この艇は戦後に新魚雷艇の設計資料を得るための波浪中運転を行い、各種の計測を行っれこの報告が有名なヘラー・アンド・ジャスパー(Heller & Jasper)の高速艇の構造設計に関する論文である。同論文は1960年(昭和35)、英国造船学会で発表されるまで公開されなかった。それまでに我が国では独自に高速艇の波浪荷重の研究を進めていたので、我が国の魚雷艇開発には直接影響することは少なかった。
一方、我が国においては、神鋼金属。長府工場(現、神戸製鋼所・長府工場)において昭和24年(1949)からAN合金(A1−4.0%Mg−0.5%Mn−0.2Cr合金)の研究が開始され、翌昭和25年(1950)12月、世界に先駆けてこの開発に成功した。その後、英国規格のNP5/6(5083相当)が昭和26年(1951)に制定された。これは溶接構造に適した耐食合金であり、5056のMgの一部をMnに置換え、Crを添加して5056な

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION