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第1章 東播磨港・姫路港の概況

1. 両港の発展経緯

1-1. 東播磨港
東播磨港の港域は旧の伊保港・曽根港・高砂港・二見港・別府港より構成されている。
旧別府港は太古「阿閇津」と称し景行天皇の御代(西暦313年)に開発され、天正年間(西暦1573〜1592)には戦略上の要港として、金物その他、重要物産の多くが移出され、その後港内の改修等により播磨地域産出の物品の移出が増大し、明治維新頃まで近隣の諸港をしのいでいた。
旧二見港については、19世紀に避難港として改修され、時世の変遷に伴い船舶による貨物の出入が行われた。
旧高砂港は加古川河口右岸に位置し、17世紀に建設資材の集積・年貢米の集散・製塩業の発達により繁栄した。
旧伊保港・旧曽根港についても古くから製塩並びに海産物・青果物その他の諸物資の交流が盛んであったと言われる。
以上各旧港においては、それぞれの歴史の変遷と共に幾多の盛衰を経て、明治、大正そして昭和を迎えた。
昭和38年7月本港の背後圏が工業特別地域の指定を受けたのを契機として、昭和38年11月これらの港を統合し、東播磨港となり播磨工業地帯東部地域の中核をなす港湾として昭和39年2月重要港湾に指定された。
また、工場適地の臨海部における埋立地造成工事が高砂地区・伊保地区・加古川地区・播磨地区・二見地区と順次施工され、臨海工業用地は全体で10,685千?、内埠頭用地は321千?(二見地区は現在施工中)が完成した。これと並行し、東播磨港の港湾改修が順次進められ、漸く近代的な港湾に脱皮し、更に本港のもつ優秀な経済的・自然的工業立地条件に伴って背後地域は機械工業を中心に、臨海部は鉄鋼・石油・化学等を基幹に各種企業の進出がめざましく、成長繁栄を続け今日に至っている。
出所:兵庫県「東播磨港」

 

 

 

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