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淀川の水運が衰退した原因は、鉄道や道路整備の進展によるところが大きいが、物理的な意味で淀川が近代的な船舶の航行に適合しなくなったことがあげられる。昭和初期から昭和30年代中頃までは、大阪市の臨海部等において工業用水として地下水を揚水し続けたため地盤沈下が激しく、それに伴って淀川に架かる橋も沈下し、川面と橋とのクリアランスが小さくなったため、上部構造部のないはしけ以外の船舶の航行が困難になってしまった。現在は、地下水の揚水規制により地盤沈下は止まっているが、数多い橋の中には水面と橋との間が2〜3m程度しかないものもあり、依然として、船舶の航行は難しい状況である。水深は河口から淀川犬堰間で3〜4mあり、小型船の航行は可能と考えられるが、新大阪付近に淀川大堰が設置されているため、これより上流に船舶を航行させるためには関門が必要となろう。
現在、淀川等の河川を利用している船舶の大部分は大阪港や神戸港に近い河川付近の運河を航行しており、内陸部までさか上るものは少ないが、砂利採取船は枚方市付近まで運航しており、はしけでは大阪市城東区の工場まで航行するものがある。砂利採取船については、1996年9月現在で平日のみ1日20〜25隻が旧淀川から毛房閘門を通過し、淀川へ出ている。毛馬間門の通過時間は上りが8:30〜9:30、下りが12:00〜13:30の間に集中している。

表4−4 毛房閘門を通過する砂利採取船隻数(1990年度)

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