私と船

南アフリカ航路

大須賀祥浩
安岡孝男画
三等航海士としての最後の乗船は、南アフリカ定期航路のコンテナ船“早川丸”だった。この船はN社との共有船で、およそ三年毎に乗組員が交替することになっており、私たちは最初の交替要因になったのである。
横浜の三菱ドッグで交替引き継ぎを済ませ、我が“早川丸”は日本での積み荷を開始した。貨物の仕向け地はダーバン、ポートエリザベス、ケープタウン……。そうした聞き慣れない港名に私の胸は弾んだ。
「南アフリカヘ行ったのは、もう五年ほど前のことになるね。人種差別の凄さは、聞きしに勝るものだったなあ」
一等航海士が、昔を懐かしむように、そう言った。
「店の入口に“犬と黒人はお断り”なんて書いてあってね。本当にびっくりしたよ」
「日本人も、差別されたんですか」
「いや。名誉白人といって、日本人は白人扱いだったね。だから、どこでもフリーパスだったよ」
本で知ってはいたが、人種差別の実態は、想像を絶するものだったらしい。選挙権をはじめとして、黒人には基本的人権すら与えられておらず、黒人以外の有色人種(カラードと呼ばれている)も、厳しい人種差別に苦しめられていたのである。

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しかし、ちょうど私が行ったころの南アは、人種差別撤廃運動が急速な盛り上がりを見せ始めた時期だった。穏健な政治活動や過激なテロで、南ア社会全体が、大きく揺らごうとしていたのである。
「ひとくちに白人といってもね、イギリス系とオランダ系に分かれているんだ。その中でも、裕福な階層と、貧しい階層があるんだ……。白人の中にも、不満を抱えた人間は多いんだよ」
一部の恵まれた白人だけが、人種差別の恩恵を享受している時代は、大きな転換期を迎えようとしていた。国連の制裁決議やオリンピックからの締め出しなど、世界各国からの風当たりも、次第に強まり始めていたのである。
「日本は、鉱物資源の有力な買い取り国だから、南アはどうしても友好関係を保ちたい……。だから、日本人は名誉白人、という訳らしい」
なるほど、それが名誉白人の正体か……。
日本人が優秀だから、とか、日本には長い伝統があるから、などと言われて、いい気になっている日本人は、さぞや滑稽だったに違いない。”名誉白人”の称号は、人種差別の裏返しだったのだろう。
アフリカといえば、大草原や野生動物の群れを連想する人が多いことだろう。しかし、南緯三十五度といえば、北半球では東京あたりに位置する訳で、“灼熱のアフリカ”のイメージとは、全く録のない世界である。整然とした町並み、歴史を感じさせる白亜の政府庁舎など、南アの港町は欧州を思わせるたたずまいだった。
「大丈夫かなあ。へたにウロついて、逮捕されたりしないでしょうね」

 

 

 

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