衝突海難発生の一側面(上)

株式会社 新潟鉄工所 鍋島正昭
一、はじめに
衝突海難は、毎年海難発生件数の上位を占めていることは周知のとおりである。「海難審判の現況」によれば、衝突の主な原因は見張り不十分、航法の不尊守および信号の不吹鳴とされており、そして毎年この三つの原因が大方を占めている。
筆者は、これまで衝突の原因または要因となるものについて衝突の事例をもとに調査してきたが、この過程において常に念頭にあったのは、船員のみによって行われる海上交通において、衝突が多発するのはなぜかという素朴な疑問であった。
陸上の自動車交通では、運転者のほかに歩行者等として幼児から老人までが参加し、これらの中には交通法令に全く無知な者も含まれているから、運転者は車のほかこれらの交通者による予期しない行動にも注意を払いながら交通しなければならない。
海上交通では、交通に参加する者はすべて船員である。船員は海上を生活の場とし、船舶の運航および海上交通法令に関する知識は一定水準以上のものを持っているから、海上交通はいわばプロフェッショナルのみによる交通ということができよう。自動車交通でこれを例えれば、タクシー、トラックまたはバスといった輸送を職業をする者のみによる交通といったイメージである。
海上交通では、自動車交通における道路のような固定された交通路はないから、広い海面上に操船者が自らの交通路を選定しながら交通している。衝突の危険は、交通路選定の過程で生じ、その回避が比較的ゆっくりした時間的経過の中で海上交通法令に準拠して行われるが、船舶運航の技術および海上交通法令に通じた船員同士であれば、互いに適切な判断をし、行動することが期待できるから、人為的要因に負うところが多いとされる衝突の発生は、船員の意識いかんによって、より低く抑えられるはずではないだろうか。
しかし、現実には冒頭に述べたような実態となっており、また、衝突の形態も特殊なものが増えているということでもなく、同じような形で繰り返し発生している。そして、原因は見張り不十分、航法の不尊守および信号の不吹鳴がその主なものとされているが、見張りを適切にすること、航法を遵守することおよび信号を吹鳴することは、船員が教育を受け経験を積む過程において最も基本的な知識として身につけることである。
海上交通に関する専門的知識を有する船員のみによって行われる交通の場で、船員の最も基本的な知識を欠いた行為を大方の原因として衝突が多発しているという実態をみるとき、先の疑問は一層強くなり、このあたりに検討すべき問題点があるように思われる。
操船者がこれら衝突につながる行為をするに当たっては、当時の状況において何らかの判断をした結果であろうから、その判断の内容が衝突発生の一側面をなしていることは間違いないと思われるので、衝突の事例において、操船者がどのような判断をし、これらの判断と衝突の発生がどのように関連しているのかを検討してみる。
二、相手船を視認した後の操船者の判断
「海難審判裁決録」に記載されている内容から、操船者による相手船の視認状況、視認直後にした判断および引き続く注意の状況について調べた。
衝突事例のうち正常な状態とはいえない居眠り、酩酊のほか、灯火の不掲揚に基づくものは除外した。また、一方の操船者の死亡等により当時の状況が明確でないも

 

 

 

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