この人と

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「運輸省を離れていた五年間は油汚染事故に対処する制度作りが大きく進歩した時期と重なりましたが、不思議と油汚染防除の問題には縁がありました」
「海洋における油汚染で、人々の記憶に深く刻まれているのは、九一年の湾岸危機で大量の油流出による油まみれの水鳥の姿ではないかと思いますが、私にとっても思い出深いものがあります。当時外務省でIM0を担当、0PRC条約採択外交会議を無事終えて、油汚染に関してはほっと一息といった時期に突然事件が勃発したわけで、説明等の作業に忙殺された揚げ句、IM0の緊急アピールに応えるために国の予備費から二億円を拠出するという密度の濃い仕事をしました。また九三年にマ・シ海峡で発生したマースクナビゲーターの油流出事故では、IM0の調査団の一員として参画し、その経験を、次の戦場の海外経済協力基金でのインドネシアに対する五〇〇トン型海上防災船二隻の供与のための作業に活用できました。これは、通常マ・シ海峡において油排出監視業務に従事し、汚染事故発生の際は防除作業に従事する機能を備える船舶の詞達を行うものであり、円借款による初のマ・シ海峡環境対策案件です」とこれまでの海洋汚染問題とのかかわりと苦労談にふれる。
「昨年の0PRC条約締結を契機に海洋汚染対策の体制整備は軌道に乗りつつあり、関係者の一層の活躍が期待されます。運輸省でも海洋に関する汚染防止対策を専従化することを目的の一つとして海洋室の発足を予定しているところです」
「国際的な動きとしては、北西太平洋地域海計画など地域の海域保全のための協力体制の検討が緒についたばかりで、より突っ込んだ検討を行うため、海の日に合わせて専門家会合を日本で開く予定にしています。IM0の場では、船舶からの大気汚染防止のための規制の検討が行われており、これらは私どもが主体的に対応していくことになりますが、精いっぱい頑張ります」と国内外の動きと今後の対応への決意で結んだ。
[略歴]山口県出身、九州大学工学部修士修了、昭和60年運輸省入省、外務省国連局、海外経済協力基金等を経て本年4月現職。

 

 

 

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