気になる船名あれこれ[24]

安田螢冶(気仙沼海運支局船舶検査長)
〔日本百名山船名〕
昔から、山岳名を由来とする船名や店名は数多い。
古くは、帝国海軍が明治元年創設時から昭和二十年の終戦までの八十年間に、三六の霊山秀峰から延べ五六隻に命名している(片桐大自著「聯合艦隊軍艦銘銘伝」)。赤城・三笠・金剛などの巡洋戦艦がそうだ。海上自衛艦ではくらまやしらねという護衛艦が山の名から採られている。
また海上保安庁では二十一回目でも触れたように、ヘリコプター一機搭載型巡視船ざおうやPSみはし・びざん・あかぎなどの一八○トン型が山岳船名である。
商船では、旧三井船舶が所有船に「山名十九」の命名法で有名だった。
手元にある大阪商船三井船舶の「創業百年史」を緩くと、三井船舶の前身である三井物産船舶部は明治二十八年購入のCarradaleという三、一五三一総トンの貨物船に彦山丸(社船一三隻目)と名付けたのを手始めに阿蘇山丸・富士山丸・愛宕山丸・剣山丸・萬田山丸・長白山丸・摩耶山丸・太孤山丸等々明治十一年から昭和十七年までの所有船舶九四隻中六一隻が「山名十九」だし、三井船舶になっても昭和三十九年の合併まで、所有船舶一二一二隻中八七隻も山船名(山なし船名のほとんどが購入船)だった。
では今はどうか。「日本船舶明細書」(平成七年六月三十日現在で一〇〇総トン以上の船舶を収録一では、商船三井の同年月現在での所有船(共有船を含む一は四二隻。そのなかで一〇隻しか山船名がない。
タンカーが伊豆山丸・筑波山丸・鹿島山丸・音羽山丸・大滝山丸、鉱石や石炭の専用船が浅香山丸・愛宕山丸・鋼輝山丸・摩耶山丸・黒滝山丸である。十年前は七六隻中二三隻に付いていた。年々少なくなっていくのを寂しくおもう。
なぜなら、筆者が昭和四十五年に実習航海士として初めて乗った貨物船が五大湖航路の明石山丸(二代目。六、六六八総トン)という船名だったから同社の山船名には特に思い入れがあるからだ。
さて今回は、登山家だった深田久弥の名著『日本百名山』の山々と同じ船名がないか気になって調べてみた。
その船名すべてが山名から命名されたとは断定できるわけではない。山岳名と同じ地名や河川、地形も多いので、間違いもあるかもしれない。そのときは、その船の名は山岳名から命名されたのではないとご指摘いただきたい。
同書に倣い、北の山から順番に探してみた。
*利尻岳 巡視船千総トン型(しれとこ型一にPLりしり一九六六総トン)があるが、保安庁の船名付与標準からいけば、本船は利尻島からの採用である。
*羅臼岳
*斜里岳
*阿寒岳 著書では一、五〇三メートルになっているが、雄阿寒岳が一、三七〇メートル、雌阿寒岳が一、四九九メートル、阿寒富士が一、四七六メートルである。阿寒湖には遊覧船雄阿寒丸一六〇総トン、昭和三十九年進水)と雌阿寒丸(八四総トン、昭和四十二年進水)が仲良く走っている。
*大雪山(だいせつさん)北海道一の高峰である旭岳(二、二九〇メートル)や北鎮岳・赤岳・凌雲岳・比布岳・愛別岳・白雲岳・黒岳など二十座近くある。
大雪山丸(たいせつさん・二、八九四総トン)は昭和六十三年進水の近海仕様の貨物船でコンテナを積み荷とする。愛媛県伯方船籍、春山海運所有。ブルーハイウェイラインが定期用船している。
船名録には掲載されていないが、かつて国鉄青函連絡船として活躍した大雪丸(五、三七六総トン・昭和三十九年進水)は、昨年秋に長崎港松ケ枝国際埠頭に係船され客船ホテルVICTORIAとして開業した。
*トムラウム
*十勝岳 横浜船籍の沿海タグに十勝丸(二四〇総トン・東京汽船)がいた。宮古の丸仙水産はマグロ漁船第二五十勝丸(三一九総トン)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ