受けるより与える方が幸いである

日本財団会長曽野綾子

 

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一九九七年の新年をお祝い申し上げます。
皆さまそれぞれに、ご健康で爽やかなお正月をお迎えになりましたでしょうか。
昨年中、さまざまな面で、お世話になりましたことに深く感謝いたします。昨年は、阪神・淡路大震災の後遺症、オウム真理教が残した破壊的な残滓、政界・官界の堕落に対する失望、はずっと尾を引いておりましたが、皆さまのお力ぞえを頂いて、日本財団を中心とする仕事の繋がりの中では、地道な努力が快く続いた年でもありました。個々にはお礼も申しあげませんでしたが、皆さま方の深いご配慮とご努力をひしひしと感じた場面が度々ありました。
戦後五十年以上も続いた平和というものは、欧米の先進国さえも決して手にできなかったほどの、幸運でありました。私たちはその平和をもたらすために働いた人たちに感謝しその基本的な幸せを長く続ける努力を私たち自身でもし続けなければならない、と思います。
しかしそのためには、私たちは実に複雑な心の構造を持たねばならないでしょう。「賢い日本人」たちをむしばんでいるのは「比類ない幼児性」であることを、私たちはしばしば眼にするのですが、私たちは、常に、あらゆる方向に働く力の複雑さに対応し、温かく、公正で、しかも強靱な判断を持たねばならないのです。私たちは疑うことも信じることも同時に必要ですし、受け入れることも拒否することも同時に果たす勇気を持たねばなりません。
生きる限り迷いながら勉強をしてまいりましょう。その結果、深く悩むこともあるでしょうが、どんなに自分を失いそうになっても、謙虚に可能性を信じることもまたやめてはならないと思います。誰もが一人残らず、地球上で使命を与えられていますが、私たちはお金のために働くのではなく、自分と他人の幸せのために働く、という贅沢を与えられています。聖書の中にある「受けるより与える方が幸いである」という言葉を私は好きなのですが、与えることができれば、人間としてこの上ない光栄です。
今年は、どうぞ、ご家族や友人・知人を大切にしてください。病人を見舞うことを、笹川良二副会長は大切に考えておられました。私が育ったカトリックの学校でも、病人を見舞うことは最優先の行為とされていました。前会長は仏教徒、私はカトリックですが、そこには生きる上での価値判断の違いは全くありませんでした。
今年一年、皆さま方の才能と善意を、ご家庭と職場に豊かに与えてくださることをお願いいたします。

 

 

 

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