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第9章 過疎地域における文化・芸術資源を生かした地域振興のあり方に関する今後の問題への提言
高度経済成長期のおよそ18年間に、3,000万人が農山漁村から都会へ流出し、農業国から工業国へ変貌する過程で、富と人口の偏在による大きな被害を受けたのは、都市の華美な繁栄と反比例して急激に現れた「地方」の村や町の過疎であった。
さらに押し寄せた高齢化の波をもろに被り、大学や会社に大量に進出した若い女性は再び村へは戻らず、深刻な後継者不足を訴えているうちに、あっと言う間もなく、子供がいないという究極の過疎に追い込まれた。
農村を歩くと、なぜ日本の政治と行政は、ノー政と批判されながら、ここまで農山漁村を過疎の状態に置いてしまったのかと、悲憤を覚えるほどである。
マスコミの情報も、大部分は東京から地方への流れであって、逆の流れはほとんどない貧困な取材状況を続けている。このために、農山漁村の過疎の苦しみが、中央に全く伝わっていない。
しかも、国家予算の半分は地方で使われていると言われながらも、地方自治体の国同様の総花的配分は、たとえ村おこし町おこしをしても、エネルギーを一気に終りまで燃え上らせず、多くは「地方」の人々のわがふるさとへの情熱の想いを、途中で分断してしまう形になり勝ちである。文化会館(ホール)は建てたが、予算も人員もあまりにも過少であったりする事実が、これを物語る例である。
その一方、社会の潮流を将来にわたって展望してみると、現在全国で2番目に年齢の若い埼玉県が、30年後には日本で5番目に高齢者が多い県へと変化するのである。高齢が加速されるからである。
しかも、大都市の土地面積に対する住宅の利用率は、日本家屋の特性もあって、西欧の高層マンションによる利用と比較して、4分の1以下である。そして、日本人の精神風土からみて、このパーセンテージは将来ともあまり変らないのではないかと言われている。
すでに東京などの大都市では、若い人達が安住出来る土地も家もない有様である。政府は都会への人口流入は止まったと発表しているが、事実は都会へ行く農山漁村の若者が底を突いたのである。
その上、高齢層が土地と家に定着してしまう傾向を考えあわせると、極めて近い将来に、徐々にではあるが、Uターン現象が起るであろうというかなり確率の高い予測が行われるのは当然である。
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