第2節 運河を生かした町づくり
運河は川とは違い自然にできたものではなく、元は陸地であったところを人々の手によって(つまり人工的に)つくっているところに趣があり、その存在価値がある。日本では、運河といえば小樽運河を思い出す人が多いであろうが、それ以外の運河を思い出そうとしてもなかなか思い出せない。実際日本には、人々の生活用水のために作られた水路のような小規模なものは多いが、交通や物資運搬などのために作られた運河は少ない。それゆえに、こういった数少ない運河を生かした町づくりへの取り組みは魅力ある町づくりへ向けて多いに利用し、役立たせる可能性を包含している。
1 現在の堀川運河について
現在の油津の町並みは残念ながら堀川運河を生かした町並みとは言い難い。調査した感想としては、運河に背を向けた町並み、言い方を変えると、運河と町が互いにうまく溶け込んでいないという印象が強い。ここで、このような印象が起こる原因を考えてみたい。まず、考えられるのが、運河に接することのできる場所が、少ないということが挙げられる。堀川橋以南においては、運河のそばに道路が走り、人々が落ち着いて歩けるようなスペースが少ない。その上、水面と道路との高低差があるので、水と接する機会(このことを親水性と呼ぶ)が難しい。さらに、堀川以南の東岸には運河に降りる石段があるが、降りた所にくつろげるようなスペースがないというのも残念である。
次に、ここに運河が流れているということが感じられなくなってしまっているということが挙げられる。油津の住民は堀川運河のことを認識しているであろうが、住民でない人には、これが運河であると思う人が少ないのではないか。ましてや、ここに運河が流れているということすら気づかない人が多いと思うのである。その原因として、油津大橋や港大橋のような大きな橋によって堀川運河の存在をほとんどわからないまま通り過ぎてしまうということが考えられる。もっと堀川運河の存在をわかってもらえるような工夫が必要になってこよう。
また、運河が栄える条件として、定量で良質な水の確保も重要な要因となるが、堀川運河に関しては油津港からの海の水が入り込み、運河というより海の入江のような感じになっている。これは水門が埋め立てられて小さくなり、広渡川からの水が入ってこなくなったことにも原因があろうが、訪れた人が川辺を歩いて見たくなるような清らかさが欲しいところである。
他にもいろいろな原因が考えられるであろうが、もっと運河を有効に利用し、魅力あるものにする方法を考えていくことが必要となってくるであろう。
2 運河を生かした町づくりへの提言
これからの油津の町づくりには堀川運河を上手に利用していくことが大切であることは先にも述べたが、それでは運河を生かすために他の運河の成功例(小樽運河など)の模倣をしていけばよいのかというと、そうではない。小樽はかつて北海道の経済、また港湾都市の拠点として明治末から昭和初期にかけて発展していたという歴史があり、運河をはじめその当時に建設された西洋建築や石造倉庫群などが数多く残っており、それらを上手に利用し、融合させているところに小樽運河のよさがある、堀川運河には、かつて飫肥藩が財政を賄うために飫肥杉を作ったという歴史がある。この歴史的事実を上手に利用した運河の再利用を考えていくことが大事なのではないだろうか。それは、昔と同じように飫肥杉を流すということでなく、かつての歴史を思い起こさせてくれるようなことで十分よい。また、油津港の歴史として、油津は昔から天然の良港として有名で、奈良朝の頃から遣唐使の寄港地として、また足利時代には天龍寺船の中継地として唐織物、陶磁器などが交易されていた。油津港が巷湾としての機能を発揮するようになったのは貞享3年(1686)に完成した堀川運河の建設に始まり、明治期に入ってからは経済的価値が大いに高まり、中央との交易が活発に行われた。大正6年(1917)には国内初の漁港の指定を受けている。また大正期から昭和初期にかけて空前のマグロ景気が起こり、それより商工業も栄え、製材所や造船所なども生まれた。注1現在の油津1・2丁目を中心に当時の繁栄を思い起こさせてくれるような立派な建築物が多く残っている。この運河と油津港をはじめとする油津の町並みを上手に融合させていくことができれば、油津の魅力は多いに生まれてくると思うのである。
ところで、運河を観察すると堀川橋より少し南の方に河岸が真すぐに通らず鍵の手に両岸に見られる。昭和10年の改修で多少手が加えられたにしてもこの鍵の手があるために運河のイメージをとどめている。江戸期には定泊に関係した遺構かもしれない。真すぐになればどこにでも見られる河川になってしまう。堀川運河の改修、再生にあたって自由に河岸を変えてはならない。常に当初の形態を探すことによって河川とは異なる運河のイメージが明確になる。運河を生かすには運河を変更してその価値を殺してはならない。当初の形態を求めてこそ生か
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