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第2節 住民による町づくりの方向

 

1 まちづくりに関心の薄い住人
かつて油津の地区住民による地域づくりへの参加は消極であった。例えば地域最大の地域行事である港祭りへの主体的な参加も少なく、油津漁協隆盛時代においては漁協がその企画・運営の主体であったが、地区住民や市民としての参加は区長や消防団等公に近い団体が加わる程度で皆無に近い状態であった。その港祭も漁協の経済的衰退により主導権が行政に移り全くの行政事業となってしまっている。ましてや、いわゆる地域の開発や保全等に関しては行政任せ他人任せの傾向が強く、大油津港の計画が発表された時も74年宮崎県港湾審議会で第一、第二運河と水門の埋め立てが決定された時も地域住人の反応は鈍かった。勿論、これらは彼等だけの問題ではなく行政の対応のまずさもあったであろうが。
そんな彼等も、時の流れとともに自分の住む町は自分達で考え創っていかなくてはならないのだと次第に変化し行動していくのである。そして彼等が行政・商工会議所に働きかけ、具体的行動に動き始めた時、非常にタイミング良く、この日本ナショナルトラストの話が持ち上がってきた。
以下、油津みなと商店街地区における彼等の活動の歴史を中心にレポートを続けたい。

 

2 一生会の誕生
81年宮崎県が組織する若手商工業者育成機関SSとして「一生会」が設立された。(設立後5年余りでSSは退会した。)メンバーは油津地区に住む或いはこの地区で事業を営む青年12名がメンバーである。資金は毎月各自1万円を積み立てし、それを毎月の例会運営費用。懇親会費用としている、主な目的は15年余り途絶えていた油津大綱引きを復活発展させ、油津の子供達に、十五夜の満月の下で綱を引いた思い出を残してやりたいという思いの実現であり、行政や政治から一歩距離を置いた運営方針がとられ、堀川や油津港に直接関するテーマは取り上げられていない。その事業資金は、港祭におけるビアガーデンを開催し、利益を充てている。行政に寄りかからない姿勢はこれから述べてい

 

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写真322 みなと地区に点在する歴史の遺産とその位置図

−「蘇れ油津港と運河のまちづくり」レポートより−

 

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写真323 一生会 綱引神事風景

 

 

 

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