日本財団 図書館


 

第4章 町の構成と景観

第1節 地形・地勢と油津の構成

4.1.1 地形と立地
油津港の立地する地形は特徴的である。広瀬川右岸で河口の南部、東・北・西を山並みに囲まれた海岸に面する平地に位置する。東側は尾伏鼻に続く半島部、西側は池ヶ山等の山稜が南に向かって伸び、北は津の峰・猪の床勢(イノトコセ)等港の三方を山並みに抱かれるように囲まれている。尾伏山を越えた東は日向灘に面す。北は湿地帯に面していた。堀川を開削するにあたり、津の峰から池ヶ山に続く丘陵の低い部分の岩盤を開き広瀬川河口右岸から西町を結ぶ運河を建設した。それは、広瀬川右岸の湿地帯から続く花峰・津の峰・日和山・尾伏山・尾伏鼻からなる半島部を堀川で平野からすっぽりと切り離したように見える。(写真272参照)
堀川は、飫肥藩の飫肥杉・弁甲材を積出港である油津港に安全に運搬するために開削した運河である。それは広瀬川河口右岸から石堰・水門を通じ、乙姫神社下付近の岩盤を掘削して西町に至る人工の運河である。運河ではあるが、舟は比較的頻繁に往来し油津港の裏港として機能していた観がある。

 

127-1.gif

写真272 油津港

(「油津港」宮崎県油津港湾事務所より転載)

 

4.1.2 油津の街路構成
油津港の立地については前述した。歴史的には7世紀頃から登場する油津は南海に面した地の利から中世近世をとおして中国貿易の中継港として栄えた。
その地形的特徴から油津港は前面が砂浜を中心とした浜港で小規模漁家はその浜港を中心に操業したと予想できる。通常こうした漁村集落の構成は浜と並行に幾筋かの街路が設けられ、少ない縦街路がこれらを直角に結んで浜へと続く。ほぼ中央あたりの山裾には社寺が立地して集落の中心をなすことが多い。その点からすると、正行寺下筋から東がそうした漁村集落の街路構成を残しているように考えられる。稲荷神社はそうした時代からの信仰の対象として祭られていたのかもしれない。梅が浜地区につなぐ街路脇には正徳元年(1711)の刻年入りの石像(写真308)が確認されることから確かに人家が連担して存在していたことを裏付ける。海岸よりには伝統的な漁家の様式を伝えるような間口が狭く妻入りの、連担した民家群も残っている。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION