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第3節 土木構築物(石橋・護岸・海岸)

 

【石橘】
堀川運河に唯一架かる石橋が堀川橋(別称乙姫橋)である。建造されたのが明治36年(1903)8月である。「飫肥の石工石井文吉により4年の歳月を費やして造り上げたもので、当初は欄千はなく、後年大島の通称“御影石”が取り付けられた」注1。橋脚は両岸の水面近くの岩盤の上に立ち、一重のアーチに整層の石積で築かれている。アーチのキーストーンは大きくつくられている。橋の下を船が航行できるようアーチを高くし、比較的大きい船でも行き来できる。この石造アーチ橋建造により両岸の道路も約3メートル嵩上げされ、堀川橋付近の堀川に面した家々は1階部分が道路下になり2階が道路に面するといった独特の景観を呈することになった。

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写真235 堀川橋

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写真236 堀川運河と堀川橋

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図162 堀川運河断面図(堀101橋下流側)

注)水面下は想像によるものです

 

【護岸】
堀川運河の護岸(石積・石段・スロープ等)を広渡川より繋がる水門から港大僑まで上流の方から詳しく見ていくことにする。
まず広渡川から水門に繋がる所に、広渡川の川岸に沿って石堰堤があり、川の流れを塞き止めている。この石堰堤をよく見ると、石積のしかたは乱積ではあるけれども、扇を逆さにした形に積まれている様子が分かる。これは飫肥城下の石垣にも見られる石積で、飫肥藩の石工の共通点として、その年代の特徴が現れていると考えられる。この石堰堤より水門側にかけて、一部石畳になっいることが確認できる。この石堰堤と石畳は、藩政時代より残っていると考えられる貴重な遺稿であり、今後の開発でも注意を払わねばならないだろう。

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写真237 水門近くの石堰堤

次に水門より堀川にはいると、両岸に弁甲用土場のある幅の狭い水路があり、しばらくすると川幅の広い、船の行き来できる運河に直交する。運河の北西の端は奥行き15〜20メートルくらいの凹部がある。その延長上には広大な空き地が広がり、地図上では「貯木場」とある。

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写真238 貯木場跡

 

 

 

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