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第2章 油津の町並み

 

第1節 油津の調査地区内の様相

油津は西に堀川運河、南に油津港、そして北と東を小高い山で囲まれた位置に広がっている。油津には、堀川運河の西側に堀川橋を堺として材木町と西町があり、東側には北から順に春日町、油津1丁目、油津2丁目が、さらに東の方へ油津3丁目、油津4丁目がある。油津はその昔(藩政時代以前)、図のように(図1)堀川橋が堀川運河(注1)の河口に位置し、その南側には海が広がっていた。

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図1 堀川運河の位置

その後、堀川橋以南が埋め立てられ、現在のような油津港をはじめとする町並みができていった。
しかしながら、私たちが日南市の方々からお話を伺ったところによると、藩政時代以前から、現在の海抜3メートル以上のところは陸地であったと考えられ、地図上のC線が湾岸線ではなったかと思われる。いずれにせよ、現在の油津1、2丁目付近は高いところで海抜5m程しかなく、昔から海抜の低いところであったことがうかがえる。

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図2 油津港と町割り

このことからも、油津1、2丁目あたりはきちんとした区画整理がなされていたものと思われる。現在では油津の中心部を2分する形で国道220号線が通り、また運河河口には港大橋、中流部には油津大橋といった現在の車社会を象徴する大きな橋がかかり、静かな町並みにもかかわらず車の通行量が多いといった状況となっている。さらに、国道沿いには杉村金物店と交差点付近の洋館以外に目立った建物があまりなく、車で通る人にとってはあまり印象に残らない町並み景観であろう。
次に、今回調査した町家の遺構(昔の土木建築を知る手掛かりとなる残存物)について丁目ごとに大まかに述べていく。まず、堀川運河より西に位置する材木町、西町の遺構であるが、この地区は小高い山と運河に挟まれ、その挟まれたものに沿うように道路がひかれ、その両側に町家が連なっている。材木町の町家には大正後期から昭和初期にかけて建てられた建物が多く、そのほとんどが2階建てである。また、空き地もところどころに点在している。この地区は昔から道が通っており、かつての油津港と飫肥に向けての内陸部とを結ぶ主要道であった。現在は、やや北の方の国道222号線がその役目を果たし静かな通りとなっているが、油津の中心部と現在の日南の中心部を結ぶ重要な道だけに人の往来は多い。西町地区では、堀川橋のすぐ南に運河に出っ張ったように建っている4軒の民家があるが、そのいずれも入口が1階でその下に地下があるといった構成になっている。ここが油津と堀川運河で一番インパクトのある景観であり、写真にも多用されている(写真6)。また、対岸にも同じように地下のある民家が残っているが、これらの民家は景観の上からもこれからぜひ残っていてもらいたい。

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写真6 注2 堀川運河といかだ

さらに、この4軒の民家から材木町と同じく小高い山に沿って南西方向に道が延び、それとともに町家が連な

 

 

 

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