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だんじく様。だんじくとは竹の一種で、密生し藪をつくる。信徒の親子三人が藪に隠れていたが、船から見つかり処刑されたという[山田]

 

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だんじく様の石祠[山田]

 

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だんじく様の石祠と祭壇[山田]

 

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千人塚。虐殺された信徒が千人埋められたと伝えられる場所。不思議なことに、氏神である比売神社の御神幸の御旅所になっている[山田]

 

生月の地名…谷川健一

生月島は延喜式に肥前国生属馬牧と載せてある。こうしたことから生月の名は馬に関連するものではないかと考えられる。中山太郎の「信仰と民俗」(昭和十八年刊)によると、源平合戦の折に佐々木・梶原の両勇士が乗ったという生朏、摺墨の名馬が池から生まれたという伝説が、各地にかぞえ切れないほど残っている。といっていくつかの例をあげている。
山形県東田川郡黒川村の百姓與平の先祖が村内の古池から出た龍馬を飼っていると、そのいななく声に牝馬が感じて生朏を生んだ。(出羽国風土略記)宮城県玉造郡上宮村(今の池月村か)に池月沼というのがある。佐々木高綱が乗った駿馬は、比の池から産まれたもである。(封内風土記)福島県河沼郡広瀬村大字御池田の産土神、羽黒神社の境内に数ケ所の池がある。最大なるを親沼という。土地の人はこの池の主は月毛ノ駒であって、生朏もこの沼から生れたものだと伝えている。(新編会津風土記)
中山は更にいう。こうなると生朏と池月との音が相通じている所から、こじつけた名馬伝説と軽視する向きもあるかも知れないが、摺墨の方も池に由縁の伝説をもっているところから、そうした語呂合わせによるものでないことが知られる。生朏や摺墨などが池にまつわる伝説をもっていたのはなぜか。雨乞いなどの祭儀の折に、犠牲の馬を切って池中に投じ、神に祈請する呪術的な神事をおこなったということに起因すると中山太郎は言う。おそらく生月島の名の起りもそうした背景をもつにちがいない。

 

 

 

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