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四天王の中で毘沙門天が特別視されていくようだ。また、この鳥翼飾りはクシャン朝のコインに刻まれたファロー神のものと一致し、毘沙門天とファロー神との習合が示唆される。さらに「出家踰城」、例えば日本個人蔵(図?)のものでは出家を決意し馬に乗り城門から出る釈迦の右横に、上半身にイラン風の丈の長い上着を着て下半身に札甲を覆い頭部に鳥翼飾りを付け合い弓を持つ武人像がいる。田辺氏はこの像を毘沙門天に比定しており、ここでは他の四天王像が表されてないので、四天王の中で毘沙門天が重要視され単独で表されたケースと言えよう。東アジアで一般的な武装した毘沙門天のルーツが伺われる。なお、田辺氏はこのような毘沙門天像がクシャン族の服装をした理由として、『仏説十二遊経』(四世紀漢訳)や玄奘の『大唐西域記』に載る北に遊牧民クシャンの王がいるといった世界観に基づき、クシャン族の王と北方守護神の毘沙門天が結びついた結果であるとした。以上、ガンダーラ仏伝浮彫中の毘沙門天像の独立化を宮治氏や田辺氏の論考を参考にして探ってみた。その中でガンダーラを支配したクシャン族の存在がクローズアップされる。近年、仏像(釈迦牟尼肖像)の誕生もクシャン族触媒論が有力であるが[注?]、インドのクーベラ・ヤクシャから発展していった毘沙門天をクシャン族の王候や「帝王の栄光」を象徴するファロー神と同一視したことが、毘沙門天像独立化のステップになったようだ。だが、まだ彼らが礼拝像として独尊の毘沙門天像を創造した証拠は見出たされていない。
……<和光大学講師>

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?日本個人蔵「出家踰城」
(参考文献)
注?小川英雄「地母神」「宗教学辞典」(監修小口偉一・堀一郎)一九七三年 東京大学出版会
注?エリッヒ・ノイマン『グレート・マザー』一九八一年ナツメ社
注?マールテン・J・フェルマースレン「キュベレとアッティス」一九八六年 新地書房
注? 前田耕作「アナレクタ・サクラ3」「エスキス94」和光大学紀要別冊 一九九四年
注?宮治昭「インドの地天の図蔵とその周辺」、『インド学密教学研究 上』一九九三年 法蔵館
注?栗田功「ガンダーラ美術? 仏伝」二玄社 一九八八年
注?宮治昭「兜跋毘沙門天像の成立をめぐって」『東洋美術史における西と東対立と交流』国際交流美術史研究会 一九九二年、田辺勝美「兜跋毘沙門天像の起源」『古代オリエント博物館紀要』13巻 一九九一年
注?田辺勝美、ガンダーラから正倉院へ、一九八八年 同明舎

【参考文献】

ハニ族と日木との稲作儀礼……曽紅36
?曽紅「雲南省ハニ族と日本との苗開き習俗「東アジアの古代代文化」76号 大和書房 一九九三年
曽紅「雲南省ハニ族のホスザと日本の初穂祭」「アジアの宗教に見る神々」学習院大学東洋文化研究所・調査研究報告41 一九九四年
曽紅「雲南省ハニ族の稲作儀礼」『日中文化研究』8号 勉誠社 一九九五年
?雲南省元陽県洞浦村ハニ族人朱小和氏の話による
?同右
?柳田国男『分類農村語彙』
?同書一三三頁
?酒井卯作『稲の祭』 岩崎書店 一二五頁
?鈴木棠三「吉田火祭」『日本年中行事辞典』角川書店 一九七七年 五四七葉
?許軍超「嗄瑪妥」「中国各民族宗教与神話大詞典」学苑出版社 一九九〇年一〇月一三六頁
?雲南省元陽県洞浦村朱小和氏による
?酒井卯作『稲の祭』岩崎書房 一九五八年 二四二頁
?『四国の民間信仰』一四九頁
?柳田国男『分類農村語彙』図書刊行会 一九八七年 二三四頁
?『四国の民間信仰』一四九頁
?山下欣一「奄美大島」『沖縄・奄美の民間信仰』明玄書房 一九七四年二八〇頁
〇一九九三年から三年余にわたって連載してきました小松光一さんの「天に一番近くに住む山の人々」が最終回を迎えました。掲載号は以下の通りです。43、44、45、46、47、48、50、51、53号です。写真家の橋本紘二さんの両方に心より感謝いたします。
○前号より北進一さんの「兜跋毘沙門天の居ます風景」が始まりました。六回分の連載を予定しております。

 

 

 

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