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示唆している。さらに氏は、双方の地天の繋がりを、グプタ時代以降のカシミールのヴィシュヌ像に見られる両手を広げヴィシュヌの足を支える地天やネパールのヴィシュヴァルーパ・ヴィシュヌ像の地天を絡めて推察している。確かに、ネパールのヴィシュヴァルーパ・ヴィシュヌ像の地天と左右に従う二匹のナーガ(龍王)の格好は兜跋毘沙門天の地天女と二兎の姿に驚くほど類似しているが、両者のもつイメージの共通性はなお多くの問題が開かれている。その点は、後の連載でさらに詳しく検証してみたい。ともかく、ガンダーラ浮彫の地天が兜跋毘沙門天像の地天女に何らかの影響を及ぼした可能性を今は指摘したい。
ところで、カシミールやネパールのヴィシュヌ像の地天は別にして、ガンダーラ浮彫の地天像が兜跋毘沙門天像の地天女と直接的に繋がるとはまだ私には思えない。ガンダーラ浮彫の地天像は仏伝浮彫の中で副次的な役割しかなく、地天が尊像を捧げる関係が明確に成立していないからである[但し、ラホール博物館犠の「菩提の座につく釈迦」浮彫(二〜三世紀)の地天は両手を広げ台座を支える姿である]。ガンダーラ浮彫の地天が兜跋毘沙門天像の地天女に発展するには、さらに大きな飛躍が必要であるが、その飛躍の鍵を握っている図像が実はインド世界から中央アジアに少し出たアフガニスタンのハッダに存在する。ここで、このハッダ出上の地母神像について想いをめぐらせてみよう。
ハッダはガンダーラ地方からカーブルに通じる街道上の町シャララーバードの南東一〇?に位置する一大仏教遺跡である。ここは五世紀前半に法顕が通ったナガラパーラ(那竭国)の醯羅城に当たり、『法顕伝』では城内に仏の頂骨を祀った精舎があると記している。古くから仏教文化が盛えた地域である。玄奘も七世紀にこの地域を通過し、『大唐西域記』の中でナガラハル(那竭羅曷国)自体の仏寺は破壊を被っていたが、ハッダは仏の頂骨・髑髏・眼晴・袈裟・蝪杖を祀った聖跡であったことを記録している。一九二〇年代にフランスの考古学者がハッダを相次いで発掘し、多数の寺院城と無数の石彫やストゥコ(石膏)彫刻を世に紹介した。それらは二世紀から七世紀と幅広い年代を推定できるが、その中でもタパ・ショトール遺跡の僧院V二号仏龕金の如来坐像の両脇侍・ヘラクレス像と豊穣の女神像は、ギリシア・ローマ彫刻と見間違うほど西方の雰囲気を漂わせている。ヘラクレス像(図?)は顎髭をつけ上半身裸形で獅子皮を

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?バッグ・タパ・ショトール寺院のヘラクレス像
?ハッダ出土の地母神像
(カープル・カープル博物館蔵)

 

 

 

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