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博物館のキュベレ石柱は、アナトリア在地の地母神='小さな神'の本質を垣間見せてくれる。

ガンダーラの地天

話はここで中央アジアに移る。アナトリアの地母神キュベレがアレクサンドロス大王の馬蹄とともにバクトリアに持ち込まれたからである。バクトリアはアム河(ギリシア名でオクソス)中流の南北地域の古名であるが、狭義にはアレクサンドロス軍の後裔であるギリシア系の太守によって建国された王国(前二五〇〜前一四〇年)を指す。ゆえにこの地域はヘレニズム文化の移植がはなはだしく、七、八世紀までその影響は続く。バクトリアのキュベレ像は管見の及ぶ限り現在二つを数える。一つはアイ・ハヌム遺跡(前三〜前二世紀)出土の金箔を貼った銀製メダイヨンのキュベレ像(図?)で、もう一つはシバルガン遺跡(前一世紀)出上のキュベレとアッティスの聖婚を表したマントの留金具である書[注?]。画図像ともキュベレは獅子に乗り、恋人のアッティスとともに神話や伝説の中で語られたギリシア・ローマ的なイメージを保有している。プリュギアのキュベレ女神がいったん酉のギリシア世界に伝わり、反転してパクトリアに運ばれた証拠であろう。しかし、このギリシア的なキュベレ像が直接兜跋毘沙門天の地天女に繋がるわけではない。兜跋毘沙門天の地大は前者で示唆したようにインドから継承される地大の図像もふまえているからである。そこで、バクトリアからさらにインド世界へ踏み入った、仏像誕生の地ガンダーラの地天の図像を見てみたい。
ガンダーラの地天像の考証は宮治昭氏の論考が詳しい[注?]それによると、インドではほとんど造形化されなかった地天が、ガンダーラの仏伝浮彫の中で登場する。それは「菩提の座につく釈迦」および「降魔成道」の場面に表されたもので、釈迦がまさに悟りを開かんとする時、魔王が釈迦に功徳を積んだことの証しを迫ったのに対し、釈迦は右手を地に指差して(降魔印、触地印)、この大地が証明するであろうと述べ、その時に地大が半身を現し証人となった。言う諸教典の記述に依拠する。前者、例えばカルカッタ・インド博物館蔵の「菩提の座につく釈迦」浮彫(二〜三世紀)では画面中央の菩提樹下の菩提座の正面に彫られたアカンサス状の植物の葉の間から上半身を現し頭飾をつける女性像が地天と見られる。また、後者、例えばヨーロッパ個人膚の「降魔成道」浮彫(三〜四世紀)でも(図?)、菩提座の上に結跏趺座する釈迦を見上げ合掌する地天像が表現されている。まさに両者は兜跡毘沙門天像の地天女のスタイルに近似しており、その関係性が注目される。富治氏は、ガンダーラ浮彫の地天が世界の中心としての金剛座の大地を象徴し、そこに坐す釈迦に対していわば大地の支配権を与え、釈迦が精神界の主となることを暗示している図像である見倣した上で、そのイメージと繋がって兜跋毘沙門天像の地天女が昆沙門天を支えることで、大地の支配権をその神に付与している表現であると
?アイ・ハヌム出土のキュベレメダイヨン
(カープル・カープル博物館蔵)
?ヨーロッパ個人蔵「降魔成道」浮彫

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