日本財団 図書館


 

056-1.gif

?コンヤ考古学博物館のキユベレ石柱
?アンカラ出土のキュベレ女神像
(アンカラ・アナトリア諸文化博物館蔵)
フュックの地母神像をはじめとし以後連綿と継承される。、それは、チャタル・フュックとほぼ同時代の遺城ハシュラルから出土した豹を抱く地母神像(図?)やヒッタイト人が信仰したヤズルカヤの磨崖(前一二五〇年頃)に刻まれた豹の上に立つ女神ヘパト、後ヒッタイト(前一二〜前八世紀)のカルケミシュ出上のクババ女神(図?)などのイメージを吸収し、フリュギアの大地母神キュベレに集約される。実際、M・J・フェルマースレンはチャタル・フュックの地母神像をキュベレ女神と同一税しているが[注?]、キュベレの起源についてはまだ多くの謎に包まれている。しかし、キュベレがフリュギア以降アナトリアの大地母神(Mariana Mater)として篤く信奉されていた事実は不変である。私がコンヤの考古学博物館で見たキュベレ像はまさにそのことを証明してくれる。
コンヤは今も神秘に包まれた静かな宗教都市である。迷路のようなオールドタウンの中にこじんまりとした考古学博物館が建っているが(図?)、新石器時代の土器やアッシリア植民地期の円筒印章、ローマ時代の見事な彫像、石棺、多くのキュベレ像などこの地方の出土品が多数展示されており、まるでアナトリアの歴史を秘めた宝石箱のようであった。問題のキュベレ像(図?)は建築資材をそのまま剥ぎ取ってきたような荒削りの石柱で、上部に獅子を抱えたキュベレ女神の上半身が刻まれ、中庭の隅の軒の壁に立て掛けられていた。博物館のキャプションでは ”A VOTIVE STELE”(奉納石柱)となっているので、この形のままどこかに祀られていたのかもしれない。出土地や制作年代は記されていないが、カールした髪型や鼻筋の通った凛々しい表情、服飾の特徴などでヘレニズム・ローマ時代以降の作と判断できる。特にこの像で注目されるのは、頭に高い王冠を頂いている点と獅子を抱いている点であろう。キュベレの王冠はヘパトやクババから受け継がれる、例えばアンカラ出土のプリュギア期(前八〜前六世紀)の像(図?)に見られるような高い帽子(ボロス)型が常であった。それが後にヘレニズム・ローマ時代では都市の守護女神キュベレの象徴として城壁冠に変型していくようだ。このキュベレ石柱の王冠はその変遷過程を示している。また、キュベレ女神はヘレニズム以降獅子を連れ玉座に坐る姿が徐々に定型化されてゆくが、コンヤ考古学博物館の多くのキュベレ像は土着的で様々なヴァリエーションに富み、この像の獅子はチャタル・フュックやハジュラルなど新石器時代の守護獣のイメージを保持しているように感じられる。ここでは獅子が豹にとって代わっただけで、アナトリアの大地によって育まれた野獣の姿が普遍的に表現され実に愛らしい(古代小アジアでは豹が生息していたが、ヒッタイト時代からオリエント的に獅子が神聖視されていったようである)。コンヤ考古学

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION